2019年4月19日金曜日

心因論 推敲の推敲 5


そもそも心因」内因、外因に分ける意味があるのか?
上記の通り、近年は神経症を含めて精神医学的な疾患において脳で生じていることをかなり可視化できるようになった。たとえば強迫神経症における眼窩前頭前皮質と尾状核の過剰な結びつきがfMRIで確かめられるようになってきている。しかし通常の精神活動についても、脳の機能の一部が可視化されるという事情は変わりない。たとえば映画で恐ろしいシーンを見たときの情緒体験がfMRIで扁桃核の興奮として可視化されたとしても、それを器質的な現象として捉えることに意味はないであろう。
 心因、内因、外因の概念が成立したころは、精神の機能が可視化されるということは通常はなかった。そしてこのころは心身二元論は今よりはるかに自然な発想だった。心はそれ自身が因果論的に展開するか(Sommer のいう「観念により起こり、観念により影響される病態」としての心因)、脳に微細な影響が加わり、失調が起きるのか(内因)、脳に外からの明らかな影響が加わって失調が起きるのか(外因)、という三つの可能性が考えられた。しかし心の働きが脳の働きの一つの表現として捉えられるとしたら、両者の距離は近くなる、というよりは重複するものとして捉えられるようになる。心が体験したことが脳の在り方を変え、また脳の在り方の変化が心の在り方を変える、すなわち両者が相互的に影響を及ぼしあうというのが現代的な考え方であろう。ただしその相互関係が心の側から初めに生じたものか、脳の側から生じたものかという分類は可能になる。ある種の体験がきっかけとなる場合はそれを心因反応に準ずるものと考え、脳の変化がきっかけならそれを生物学的な要因とみなすということは言えるかもしれない。そしてその意味での「
ストレス素因モデル Stress-diathesis model」 は依然として私たちの精神疾患の理解を支えてくれているのである。