2018年12月6日木曜日

解離の本 47

性的逸脱行動も自傷行為としてみなされる場合があります。かつてレイプ被害に遭い、加害者に抵抗することができずに蹂躙されたことで深い傷つき体験をしたイズミさんは、その体験を乗り越えようとし、自ら能動的に相手を性的に誘い、そこで主導権を握ろうと試みたそうです。彼女は性的な逸脱を重ねることで、最初に受けた苦痛を薄めようとしていたのかもしれない、とも話しました。性被害を持った女性でその後風俗で働く方たちの中には、そのような意図が隠されている場合も少なくありません。
多くの自傷行為は一人で完結するものですが、性的逸脱行動には他者が関与します。そしてその行動が繰り返される背景には強い孤独感がある場合があります。ただしそのような関係性の多くは一時的、刹那的であり、失望や見棄てられ体験へとつながります。その意味では性的逸脱行動を繰り返す人生は、その生き方そのものが自傷的であるともいえます。彼女たちのなかには、性的なものを介在させないと人とつながることができないという不安もあるかもしれません。自分は既に穢れているから、もっと穢れるところに落ちていると安心だという思いなど、トラウマに由来した複雑な思いが他にもいろいろとあるでしょう。
こうした思いを乗り越えるには、性的なものを介在させない穏やかな関係が重要です。それは異性との間でももちろん構いませんが、関係の性愛化という反復強迫から逃れるのはとても難しいことです。それゆえ、できれば、例えば異性愛の方は同性との間で、深くはなくとも、穏やかな関係を持てることが望ましいように思います。恋愛感情を含まない穏やかな関係をひとつでも持つと、患者さんが落ち着いてこられるのを感じます。江戸時代の長屋の井戸端会議ではないですが、文句を言ったり、たいして重要でもない話をしたりしながら、知らぬうちにエネルギーを回復し、それぞれの生活に戻っていく。そんな場のイメージです。