2014年5月4日日曜日

現代における夢理論 (1)

これから何回かは、これまでに論じた夢理論の推敲版である。
 精神分析的精神療法を行う治療者にとって、夢をどのように扱うかは避けて通れない問題だと思われる。その昔、フロイトは夢を基本的には願望充足のプロセスとしてとらえ、ただしそれが顕在化された内容となるプロセスで様々な検閲が施されていると考えた。それから一世紀たった今も、多くの治療者が、夢は患者の無意識的な思考や治療関係を様々な形で表現し、媒介するものとみなしているようである。ただし現在の治療者の多くは、夢が願望充足を表すというフロイトの定式化については必ずしも賛同しないという印象を受けるが、それ以外の夢の理解の仕方や扱い方は、各学派や、各治療者によりさまざまに異なるようである。
そこで今回、アメリカのジェームズ・フォサーギJames Fosshage 先生というコフート派の分析家が来日され、夢理論について発表されるのを機会に、この問題について再考したい。ちなみに先生の著作はかつて日本語にも訳されているが、現在は絶版となっている。(「夢の解釈と臨床 (1983)ジェイムズ・L.フォッシジ、 クレメンス・A.レーヴ、 遠藤 みどり (翻訳) (ちなみに「フォッシジ」とはFosshage先生の英語読みのつもりであろうが、明らかに読み方が違うであろう。」

本格的に読むのは、フォサーギ先生の論文The Organizing Function of dreaming (International Forum off Psychoanalysis, 2007, 16:213-221) という論文だ。日本語に訳すると、「夢を見ることの構成機能」となる。この論文は彼が書いたものの中で最新のものの一つであるということ、それから彼が1980年代から発表している夢理論は大筋については一貫していて、その意味ではこの最新の論文で大枠をつかむことができることが理由である。