2012年8月3日金曜日

続・脳科学と心の臨床 (67)



愛着と脳科学(5)


愛着と脳の関係の記述の最後は、新皮質についてであり、これはマクリーンの第三番目の脳に相当する。ただし読者としては当然次のような疑問を覚えるかもしれない。「動物でも愛着行動をちゃんと起こすということは、人間に特徴的な新皮質はあまり関係ないのではないか。」この答えはイエスであり、ノーである。そう述べる根拠をここに示そう。
以前に「無意識とは右脳か?」という問いを立てたのを覚えているだろう。これはアラン・ショアの提言なのであるが、私たちの大脳新皮質は左右半球でかなりその働きが異なる。そのうち左半球については、その存在理由はある意味ではかなり明確である。というのも人間は動物に比べてはるかに多くの情報を操ることが出来、また言語を用いることが出来る。左脳のかなりの部分を占める言語野は、そのために用いられると言っていい。
それに比べて右脳は情緒的、全体的、非言語的、直感的、関係的な機能をつかさどっている。それらの機能はおそらくより愛着に密接に関係していることが予想される。なぜなら愛着行動はまさに情緒的、非言語的、関係的だからだ。そこでこのような問いを立ててみる。人はこれらの大脳半球を有することで、より愛着行動を示すことに適しているのであろうか?答えは冒頭で述べたように、イエスでありノーなのだが、その説明である。
まず大脳半球の存在は、愛着行動そのものを抑制することはないということだ。「いや人間の社会は愛着障害や育児放棄が起きているではないか」と言われるかもしれない。
しかし上野動物園で育児放棄をしたパンダの「シンシン」のことは記憶に新しい。育児放棄は動物界ではよくあることだ。種の保存の法則により厳密に従う場合には、少なくとも生存の可能性が低い子孫により大きなエネルギーを注ぐことは理屈に合わないことになる。だから動物園などではスタッフが子育てを放棄した親の代わりに子を育てるのに忙しいと言うわけである。

しょうがないなあ、もう


人間の場合には大脳皮質という巨大なコンピューターを備えているわけだし、そこで処理できる情報は情緒的、非言語的なものも含めて多い。人間の子供を育てる為にはそのような母親の能力が必要なのだろう。ここは私の純粋な想像だが、赤ん坊の顔を見ていると、その表情の豊かさに驚く。動物の顔を見ていても出てこない表情が顔のあらゆる表情筋を使って表される。(チビの顔を見ていても、最後まで苦しそうな表情を全然しなかった。)これはそれを読み取って処理する母親の能力の高さをも反映していると考えるべきであろう。
しかし大脳皮質の発達は、さまざまな形で愛着の表現に抑制をかける可能性をも含む。日常臨床でしばしば患者から聞くのは、「幼いころ自分の感情を親に表現できなかった」という訴えである。言語というコミュニケーションの手段を有する人間は、それに頼りすぎて、それで表現しない部分を切り捨て、あるいは無視する危険性をも持つことになる。すると言葉で感情を伝えることが出来ない子供のさまざまな変化を、親は無視する可能性もあるだろう。子供の側の「こんなことを言っては親を心配させるのではないか?」という懸念もまた大脳皮質の産物である。その結果として自然な愛着や依存を表現できない子供がいることもまた確かであろう。
このように考えると人間の巨大な大脳皮質が愛着行動に示す影響についても、さまざまな可能性を考えなくてはならないと言うことになる。



No Title (7)
Analytic training implicates patients. Like any other training for the jobs which handle customers and clients, ordinary patients are “used” in order for an analytic trainee to develop his/her skills. Some unfortunate patients are, in a sense, victims of the inadequacy of the novice trainees’ clinical experiences. I do not think that this system is bad. It is necessary. The question was, “Is there anyone who are patient enough (or needy enough?) to bear with me as his/her analyst?” In order to become a fully trained analyst, I need not one, or two, but three cases of that sort. How could it be possible??
 During my residency training, I needed cases of psychotherapy who visit with me, once or twice a week for psychotherapy sessions. I learned how it is tough for a foreigner with multiple handicaps to keep cases.
There is another hurdle that I needed to get rid of in order to be able to even start looking for analytic cases. It was the visa issue. When I became eligible to take analytic cases, I asked my supervisor if it is OK for me to go on in the training with my J1 (research fellow) visa. J1 has many restrictions including notorious “two-year-rule” that requires the holders to go back to their home country and wait for two years until he/she has a chance to apply for the continuation of J1 status. I took many hours for me to make sure that this would not be a problem for me to stay in the US and move onto the analytic training after I finish my residency training, but I just wanted to make sure with my supervisor that it is also their understanding. Unsure about this visa issue which never was a problem for foreign medical graduates who attempted to be in a training program, he took it up to the upper committee called “training committee”, which somehow decided that I should not start analytic cases until I get a green card (permanent visa) !! I realized that I created another, probably the biggest obstacle that I needed to clear before I move on in the analytic training. Many, many foreigners in the US seek to obtain the green card, and it is just with a sheer luck that they get one…