愛着と脳 4
では大脳辺縁系のもう一つの主役であるHC(海馬)はどうなのか?海馬は「かいば」と打ち込むとですぐ出るから、HCに書き直さなくてもいいや。海馬についても前著「脳科学と心の臨床」で結構書いたことだが、ここも愛着との関連で触れてみる。
海馬がAMと違うのは、海馬はAMと違って最初の2~3年はまだ機能しないということだ。その代わり3歳以後は海馬は記憶の中枢となる。そうしてAMの暴走を止めてくれるという重要な働きを持つ。それまで人間は海馬なしで生きていかなければならない。
海馬は記憶の中心、と言ったが、その記憶の処理の仕方はフォーマルで、「事務的」である。AMによる記憶の様に未整理で曖昧なものではない。いわば紙に書きとめられたり、ビデオに撮られたような記憶である。いつ、どこで何があったか、など、時空間上に整理された記憶だ。これを心理学では「明白な記憶」、と呼ぶ。この明白な記憶があるかないかにより、周囲の状況に対する反応の仕方に大きな違いが生じる。
例をあげよう。ある赤ん坊が蛇を嫌いになったとする。といっても猿は生まれつき蛇に反応する細胞がAMにあるらしいから、人にものAMにも生まれつき備わっているかもしれない。しかしともかくも赤ん坊は一度蛇にかまれたり巻きつかれたりするなどして、恐ろしい体験をしてから、それがちょっとしたトラウマになって蛇を見ると泣き声をあげると仮定しよう。これはAMによる反応であることは既に述べた。AMの中に「蛇細胞」が出来上がり、それが刺激されると体中にアラームが鳴り響くのである。
さてその赤ん坊が蛇の写真を見せられたとしても、少なくとも最初はやはり同じ反応をするはずだ。しかしそれが単なる紙にプリントされたものであり、実際には触っても動かずに、噛まれたりするということがないということを何度か繰り返すうちに、蛇の写真は恐怖体験をもたらさなくなる。私の予想では、その時にAMでは「蛇細胞」以外に「蛇の写真細胞」が形成されるからだろうと思う。すると今度は蛇の写真を見てもそちらの方が反応することで、赤ん坊はパニックにはならない。しかしこのプロセスには少し時間がかかるだろう。
さて海馬の機能が成立する3歳以降ではどうだろうか。それでも蛇を怖がる子どもは、始めて蛇の写真を見せられたらパニックになるだろう。しかし一度それを触って確かめ、「なーんだ、怖くないんだ。」という体験を持つと、次回からそれを思い出すことが出来る。もちろんもう一度蛇の写真を見せられても、AMのレベルでは怖気づいている。ヒヤっとくらいはするだろう。しかし海馬による明白な記憶のお陰で「この間の写真だから怖くないよ」と自ら言い聞かせることで、すぐにその怖さを克服できるという訳である。このように海馬はAMの短絡的な反応を、これまでの記憶を取りだして修正し、抑制することが出来るというわけだ。
さて愛着に関してはどうか。8か月不安などの現象からわかるとおり、赤ん坊は明らかに海馬の成熟前に母親を認識し、他人と区別をすることが出来る。なにしろ2歳までに言葉も習得するということは、海馬以外の記憶のメカニズムは沢山あることになる。AMだって一部は関係しているだろうし、小脳だって大脳基底核だって関与しているかもしれない。要するに明白な記憶はできなくても、慣れ、習慣というレベルで赤ん坊はどんどん外界を取り入れ、学習していく。ということはこういうことだ。海馬は愛着においてそれほど決定的な役割を果たさない。何しろ一番最初の1,2年の最も愛着にとって大事な時期に機能していないということからもわかる。ただしその1,2年の期間に養育の破たんやトラウマが生じた場合には、海馬はそれらをある程度修復することが出来るであろう。
もしごく幼少時、例えば2歳の頃に成人男性からトラウマを受けたとする。海馬の力がなければ、永久にその成人男性を思い起こさせるような人を恐れることになるだろう。しかしその後に様々な「明白な記憶」を蓄積させ、もしそれ以外の成人男性にあった時も、「この人はこの間会った時に安全だっだから、今回も大丈夫だろう」という形でAMの暴走を抑制するのである。
NO Title (6)
The didactic course at the TIP started in the fall of 1993. There were 6 candidates in my class. Two Americans, one from Argentina, one from Mexico, one from Pakistan, and one from Japan (myself). How international!, although everything is international in the US, so to speak. There are foreigners everywhere in every part of the society. African Americans, however, are most under-populated among those who study psychoanalysis. I don’t think I ever met any MDs or psychologists of African American origin on the Menninger campus, and I hope I am not exaggerating.
The didactic course lasted for 4years. Every Saturday morning the class met in the Institute and had three-hour-sessions for reading Freud’s original texts, various analytic literature and discussions. I liked the classes and the discussions were lively. I believe that I covered most of the important writings of Freud during the course of 4 years. (How could you imagine reading Freud’s two volumes of the “Interpretation of Dreams” so intensely other than with the purpose of having discussions on the topic in the weekend! I don’t think I ever opened the book ever since.) The didactic course went smooth and so did my training analysis. Things went as planned and the analytic training appeared to be on its course. What did not seem to be going anywhere was… the issue of control cases and it was a headache.