心理士への教訓
オキシトシンについてずいぶん書いた気がするが、ほんの数日間の事であった。面白い人には面白いし、そうでない人にとっては全然そうではない。しかし心理士としては、人の心の成り立ちの興味深い一側面を垣間見た、という感覚を持ってほしい。
私は思うのだが、精神的な問題に脳科学的、ないしは生理学的な背景を知るということは、結局は「その人が悪いんじゃないんだ」という感覚を得ることに大きな助けとなる。もちろん精神的な問題を持つ人を前にして、その問題をその人自身の弱さや過ちのせいだと考える方針もありうる。しかし心理士がその人の話に耳を傾けるべき立場にある場合には、その人がある種の問題を抱えて苦悩している人であり、精神的な病の犠牲者であるという見方を同時にできなくてはならない。(ここの所、改めて説明が必要だろうか?患者本人は当然、「自分は悪くない」モードでいることが圧倒的に多い。つまり主として犠牲者としての気持ちを持っているわけである。人間誰しもそうだ。とすれば、治療関係を築くには、「その人が悪いんじゃないんだ」モードで入るしかないことになる。)
世の中に人との関係が苦手で自分も周囲も困っている人は多いが、その中にはいかにも「オキシトシン受容体不足」をうかがわせる人は少なくない。彼らは他者と心を通わせて穏やかで長続きのする関係を持つ事が苦手で、次々と別の相手と表面的な関係を結んでは壊して行く。時々そのような人との関係に巻き込まれると私たちは「困った人だなあ。」とか「もう付き合うのはやめよう。」などと感情的な反応をしてしまいやすいのだが、「そうか、この人はサンガク(ハタネズミ)タイプなんだ。」と思うことで少し吹っ切れることもあるし、その人に困らされた人(たいていは女性だろう)も、恨みの一部は軽減させることが出来るかもしれない。少なくとも男性(患者さん、彼氏、ご主人)を見る目は、オキシトシンのことを知ることでかなり確かになるはずだ。
しかしこれで「心理士への教訓」はないよな。我ながら。明日から何を書こう?
私は思うのだが、精神的な問題に脳科学的、ないしは生理学的な背景を知るということは、結局は「その人が悪いんじゃないんだ」という感覚を得ることに大きな助けとなる。もちろん精神的な問題を持つ人を前にして、その問題をその人自身の弱さや過ちのせいだと考える方針もありうる。しかし心理士がその人の話に耳を傾けるべき立場にある場合には、その人がある種の問題を抱えて苦悩している人であり、精神的な病の犠牲者であるという見方を同時にできなくてはならない。(ここの所、改めて説明が必要だろうか?患者本人は当然、「自分は悪くない」モードでいることが圧倒的に多い。つまり主として犠牲者としての気持ちを持っているわけである。人間誰しもそうだ。とすれば、治療関係を築くには、「その人が悪いんじゃないんだ」モードで入るしかないことになる。)
世の中に人との関係が苦手で自分も周囲も困っている人は多いが、その中にはいかにも「オキシトシン受容体不足」をうかがわせる人は少なくない。彼らは他者と心を通わせて穏やかで長続きのする関係を持つ事が苦手で、次々と別の相手と表面的な関係を結んでは壊して行く。時々そのような人との関係に巻き込まれると私たちは「困った人だなあ。」とか「もう付き合うのはやめよう。」などと感情的な反応をしてしまいやすいのだが、「そうか、この人はサンガク(ハタネズミ)タイプなんだ。」と思うことで少し吹っ切れることもあるし、その人に困らされた人(たいていは女性だろう)も、恨みの一部は軽減させることが出来るかもしれない。少なくとも男性(患者さん、彼氏、ご主人)を見る目は、オキシトシンのことを知ることでかなり確かになるはずだ。
しかしこれで「心理士への教訓」はないよな。我ながら。明日から何を書こう?