2012年6月12日火曜日

続・脳科学と心の臨床(20)


殺人者の脳は「異常」なのか?
2日ほど前に日本中を震撼させた通り魔殺人事件。610日午後1時ごろ、大阪の心斎橋の路上で二人を刺し殺した男の言葉。「(自分では)死にきれず、人を殺してしまえば死刑になると思って刺した」。これほどの圧倒的な狂気があるだろうか。
わが国を代表する精神医学者の一人、福島章氏の著作に「殺人という病」(金剛出版、2003年)がある。彼は殺人者の精神鑑定を通して、殺人行為はそれだけで一種の疾患単位を形成するのではないか、という考えに至った。それがこの著書の趣旨である。専門家の間では必ずしも評価の定まっていないと言われるこの本に私は愛着を持っている。それは彼がこの本に先立って書いた論文「殺人者の脳と人格障害」(こころの科学 92000p. 6165) を読んで、それが印象深かったからかもしれない。この論文で、もともと精神分析や甘え理論に関連した犯罪者の論考を書いていた同氏が、その間に発達したCTMRIなどの画像診断を犯罪者に行うことにより、大きく関心を変えたという経緯をより明確に語っている。「殺人者の半数以上に脳の形態異常があるのに比べて、殺人以外の犯罪者のそれは14%にすぎない・・・・。」こうして彼は殺人者の脳の異常に興味を移していく。
私が感銘を受けたのは、本来は精神病理学や精神分析、天才の研究、文化論など脳とは無縁の分野に関心を向けていた氏が、画像診断や脳波などの示すものに率直に影響を受け、ある意味では極端な器質論者と見られかねない立場をとるようになったことである。自分のこれまでの研究分野を離れて新しい知見を取り入れて方向転換するということは、いったんある分野で名を成した大家にとっては極めて難しいことなのだ。老大家たちの弊害のひとつは、彼らが若いころに得た名声と影響力のままで、新しい知見に頑強に抵抗し、若い人々を惑わし続けることなのだ。宇宙は拡張し続けるというアイデアに最後まで反対したアインシュタインのように。
それはともかく・・・・。