2011年1月22日土曜日

治療論 20. 「アドバイスは適正価格で」(絶対どこかに書いているはずなのに、このブログにはない)

精神科医の安永浩先生は由緒正しい精神病理学者であるが、その治療者としての態度にはまさに頭が下がる思いである。私が最も尊敬する人の一人であるが、その安永先生がどこかに書いてあったことで忘れられないこの金言。
「アドバイスは適正価格で。」
精神科医や心理療法家のような仕事に携わる人たちにとってはきわめて重要なテーマである。(ちなみにこの「アドバイス」の変わりに、いろいろなものを代入することで、いくつかの金言が出来上がる。「自己開示は適正価格で」なども授業でしばしば口にしている。要するに治療者がその時々でクライエントにとって非常に益になるように思えることにも、それを提供することがふさわしい場合とそうでない場合があることに気をつけなければならない、ということだ。当たり前の言葉かもしれないが、私にはこれが安永先生の言葉ということで、私には個人的に深い意味を持っている。
いかに頻繁に、私はアドバイスを安売り(押し売り?)し、あるいは高値をつけて売り惜しみをしているだろう。私たちが自分の経験にもとづいて何事かについてクライエントにアドバイスをする時、あるいは家族や友人にほとんど無反省に自分の趣味である何かを売り込むとき、たいていはそこに自己愛的な満足が入り込む。すると私たちはそれを「安売り」するようになる。つまり相手が欲していなかったり、それを受け取るだけの用意がなかったりする時に、投げ売りをするというわけだ。そして何かいいこと、正しいことをしたような気分になる。これは治療者としてハシタナイことだし、倫理的に問題ともなりかねない。
しかし治療者は安売りとは反対のこともする。治療者がいざ精神分析的なアプローチを心がけると、今度はとても売り惜しみをするのだ。「治療者がアドバイスだなんて、禁欲原則に真っ向から違反するではないか。」というわけだろう。
私は治療者がアドバイスを売り惜しみするのは、結果として悪いことではないと思う。しかしそれはアドバイスが禁欲原則に反しているから、というわけではない。治療者のアドバイスはたいがい、役に立たないものだからだ。第一クライアントの側が本当にそれを求めているかは疑問である。第二に治療者は患者に有効なアドバイスを与えるだけの経験知を持っていないのが普通なのだ。結局治療者はアドバイスを与えるのではなく、クライエントが自分で物事を決めるというプロセスをアシストするということしか出来ない。
もう少し具体的に書いてみよう。精神科医をしていると、具体的なアドバイスを求められることは少なくない。クライエントは通常、アドバイスを求めることにあまり躊躇はしないようである。薬を出している当の私に、「薬はちゃんと飲んだ方がいいのでしょうか?」という質問をされることすらある。そんな時でも私はいつも「アドバイスは適正価格で」とつぶやく。
そのような時私は、躊躇をすることなくアドバイスを提供することもある。「パキシルだけは、やめるときには決して急に止めてはいけませんよ。『シャンビリ』がおきるかもしれませんよ。いえ、決して『止めてもいいですよ』と言っているんじゃないけれどね。」このアドバイスは適正価格だ。パキシルを急にやめて離脱症状が起きて、「シャンシャンビリビリ状態」になった人は少なくない。必要なアドバイスは必ず差し上げる。(というよりは薬を出す前に伝えておくべきことだったのだ!!)
でもそのようにどうしても必要なアドバイスを除いたら、私は「先生が出してくれる薬はちゃんと飲むべきですか?」という一件単純な質問にすら、きちんと「正しい」アドバイスをすることは難しいことだと思う。医者が出す薬をそのまま唯々諾々と飲むべきかというのは、実は決して易しい問題ではないし、私だって内科医から出された薬が副作用が強ければ、量を半分にするか、一日だけで止めてしまうかだろうと思う。
だから結局直接的なアドバイスを差し上げる代わりに、自分がどうしてそのような「アドバイスモード」に入り込もうとしているかについてクライエントと一緒に考えることになる。そしてたいがいの場合に気がつくのは、クライエントはアドバイスを求める前に、自分ではどうしようかをある程度は決めているのである。大概はより好ましいと思えるA案のほうに、である。すると治療者の口から出るのはむしろ、「A案を選ぶことに何かためらいがあるのですね。」という言葉である。
もし治療者から見て絶対にA案のほうがいいのに、クライエントがB案に決めようとしている場合にはどうだろうか?そのようなときでさえ、「B案はまずいですよ。」というアドバイスの代わりに次のように言えば、分析的な治療者としてのお作法違反ではないだろう。(お作法にこだわる向きのためにアドバイスの「押し売り」をしておく。)
「あなたがここでA案ではなく、B案を選ぼうとしている理由について一緒に考えましょう。」