2011年1月24日月曜日

なんのためのブログか?

昨日は結局ブログの更新を出来なかったが、ここでなんのためのブログか、というテーマで考えてみた。
自分で9カ月近くやってみた結果、ブログを続けるとはどういうことかがある程度はわかった。まず私の場合は若干の強迫があり、「ほぼ毎日」というペースを自分で勝手に作ってしまったというところがある。普通はこんな頻繁なものはない。時々更新、というのが主流だろう。でもとにかく「自分のブログを作ったのだから続けなくては・・・」というのはある。小さいけれど開店しています、という感じだ。客が訪れる以上は店にあるものが賞味期限きれだったり、棚に埃がたまっていたりするわけにはいかない。何しろブログは一応「人目に触れている」からだ。
また私のブログには、読者からの感想の欄を敢えて作っていないから、私にはあまり関係ない。一般にブログを続ける一番のモティベーションは、なんといっても読者からの反応だろう。結局はこれに一喜一憂する人が圧倒的に多い。だから私のブログはその点でも変わっている。
これらのほぼ毎日更新、そして読者からの反応を聞かないという二つは私の特殊事情であるから一般化できない。要はブログはそれぞれの人が微妙に異なるモティベーションのもとに続けているわけだ。そこで私にとってのモティベーションであるが、やはり「自分からの発信」ということを考える。これは本を書くということと繋がっている。表現したい、ということがある。(同時に非常に恥ずかしい、ということがあるので、出し方がややこしくなる。)次に発想を書き取っておくことに意味があるということ。毎日結構これでも大事な気づきがある。ブログは日記代わりというわけだ。そして執筆。ここに乗せるという短期的な目標を持ちながら、計画している本の内容をまとめている。この二つは、ではどうして自分で公開せずに書き溜めないのか、という疑問を生むだろう。しかしそこには結局は話し相手がいることで、話が進むという事情があるのだ。
私はその意味で純粋な描き下ろしというのは案外大変なことであろうと思う。多少なりとも可視化できる話し相手なしで、書き続けることは、壁に向かって講演の練習をするようなところがある。そこに相手に直接語りかけているという感覚がないと、モチベーションの糸が切れやすくなるのだ。だから作家は定期的に訪れる編集者に読ませるつもりで書き進むということをしたものである。
この編集者というのは絶好の相手である。それは向こうがそれを仕事としてくれるからであり、こちらから押し付けるわけではないからだ。向こうがいくら暇だって、無理して聞いてもらうのは悪い。聞いてもらうこちらの方にも負担になる。ブログは、聞きたくない人は開かないという意味では決して押しつけではない。私はこれでも「ブログを書いているから読んで」、といったことはだれにもないのである。しかし読む人にとっては、win win となるよう(つまり読む人が読んだら、何らかの意味で読んでよかったと思えるような内容にしているつもりではあるが。)

ということでブログは続く。