2011年1月21日金曜日

解離に関する断章 12. メールを用いる効用

いまやメールやインターネットの社会である。ケータイの普及により人々の通話が増える以上に、おそらくテキストによるメッセージが増加しているはずである。じかにリアルタイムで話すより、時間差を設けてコミュニケーションを行なう。そして若者が友達同士と交わすメールの数は尋常ではないようだ。
ケータイやパソコンによるメール交換がこのように社会現象化している以上、もうその是非を問う時期ではないだろう。それが何を促進して、何に対する弊害になっているかを明らかにすることがむしろ先決である。インターネットやメールは人と人との生きたコミュニケーションを制限するのは確かではあるが、逆にコミュニケーションそのものの成立を容易にし、促進するという側面もある。たとえば囲碁の若手ホープの井山裕太名人は幼少時にテレビゲームで囲碁を覚えた後、師匠とのインターネット対局で腕を磨き、12歳でプロ入りしたという経歴の持ち主だそうだ。私は同様の効用を、解離性の患者さんとのやり取りで体験しているというところがある。
もちろん心理士や精神科医による面接をメールで行うということに関しては、様々な問題があろう。しかしそれは同時に、交通手段の問題や遠隔地に居住するという事情から患者が頻繁に治療に通うことの出来ないという事情があったり、治療者の側の身体的な障害そのほかでオフィスでの面接が不可能な場合に、これまでは不可能であった治療関係を成立させる可能性もあろう。
私は最近は、それ以外にも解離性障害の患者さんとの治療的なかかわりで、時々メールが特異な意味を持つ遠いうことを体験するようになっている。それは端的に、患者さんの交代人格が、メールを通してよりスムーズに連絡をしてくることが考えられるからである。
メールを用いた交代人格との交流がよりスムーズになるようないくつかの根拠をここに挙げてみる。患者の異なるいくつかの人格がひとつのメールアカウントを用いる場合、例えばAさん、Bさん、Cさんがそれを使っている場合を考えよう。そのうちの一人の交代人格Cさんに対してメールを送った場合、Cさんがそれに返答する用意がある場合はそれに答え、それ以外はそのメールを無視することになるだろう。これはセッションにおいてCさんに出会う機会がない場合にその代替手段となりうる。交代人格は多くの場合、臨床の場で治療者と対面することに躊躇することが少なくない。またその人格が活動する時間や状況が限定されいるなどして、オフィスで出会えない場合には場合にも、メールは治療者と交代人格が接触する機会を生むことになる。