2024年6月4日火曜日

「トラウマ本」トラウマと心身疾患 加筆部分 2

 いわゆる転換性障害 conversion disorder

 MUSの筆頭に挙げられるのは転換性障害である。ただし実はこの「転換性」という表現自体がもう過去のものとなりつつあるという点についてもここで述べなくてはならない。その意味でここでの見出しも「いわゆる転換性障害」という表現を取っているのである。そして後に述べるように、この転換性という概念と共に心因性という考えも見直されるようになったのである。
 そもそも従来から転換性障害と呼ばれていたものは随意運動、感覚、認知機能の正常な統合が不随意的に断絶することに伴う症状により特徴づけられる。ひとことで言えば、症状からは神経系の疾患を疑わせるような症状を示すものの、神経内科的な検査に裏付けられない様な病状を示す状態である。
 もともと「転換性」という概念は古くから存在していた。DSM-Ⅲ以前には「転換性ヒステリー」ないしは「ヒステリーの転換型」という用い方がなされていたのである。しかし2013年のDSM-5において、この名称の部分的な変更が行われた。すなわちDSM-5では「変換症/転換性障害(機能性神経症状症)」(原語ではconversion disorder (functional neurological symptom disorder ))となった。つまりカッコつきで「機能性神経症状症」という名前が登場したのである。
 さらに付け加えるならば、2022年に発表されたDSM-5のテキスト改訂版(DSM-5-TR)では、この病名がさらに「機能性神経症状症(変換症/転換性障害)」となった。つまり「機能性神経症状症が前面に出て「変換症/転換性障害の方が( )内にという逆転した立場に追いやられたのである。この様子で行けば、将来発刊されるであろう診断基準(DSM-6?)では転換性障害の名が消えて「機能性神経症状症」だけが残されるのはほぼ間違いないであろう。
 ところで同様の動きは2022年の ICD-11の最終案でも見られた。こちらでは転換性障害という名称は完全に消えて「解離性神経学的症状症 Dissociative neurological symptom disorder」という名称が採用された。これはDSMの機能性functional のかわりに解離性dissociative という形容詞が入れ替わった形となるが、それ以外はほぼ同様の名称と言っていいだろう。
 さてこの「転換性」という表現が消えて「神経症状症」になったことは非常に大きな意味を持っていた。まずこの名称はこれまで転換性障害として定義されたものを最も客観的に(そして味気なく)表現したものである。機能性、とは器質的な変化が伴わないものを意味し、また神経症状症とは、症状としては神経由来の(すなわち心、ないしは精神由来の、ではなく)症状をさす。つまり「神経学的な症状を示すが、そこに器質的な変化は見られない状態」を意味するのだ。
 ところでこの神経症状とは、神経症症状との区別が紛らわしいので注意を要する。後者の神経症症状とは神経症の症状という意味であり、不安神経症、強迫神経症などの神経症 neuross の症状という意味である。他方ここで問題にしている神経症状、とは神経(内科)学的 neurological な症状をさし、例えば手の震えや意識の混濁、健忘をさす。簡単に言えば症状からして神経内科を受診するような症状であり、具体的には知覚、感覚、随意運動などに表われる異常である。しかし上記の様にもともと転換性障害が対象とする症状はこれらの知覚、感覚、随意運動などに表われる異常であったから、神経症状症、と謳うことで転換性障害の症状はそのままカバーされることにはなるのだ。
 さて問題は転換性という用語が機能性に置き換わることになった意味である。そしてそれは「転換性」という言葉そのものについて問い直すという動きが切っ掛けとなっていた。その動きについて J.Stone の論文を参考に振り返ってみる。
 ほんらい転換性という用語はそもそもFeudの唱えたドイツ語の「転換 Konversion」(英語のconversion)に由来する。 Freudは鬱積したリビドーが身体の方に移されることで身体症状が生まれるという意味で、この転換という言葉を使った。
 ちなみにFreudが実際に用いたのは以下の表現である。「患者は、相容れない強力な表象を弱体化し、消し去るため、そこに「付着している(5) 興奮量全体すなわち情動をそこから奪い取る」(GW1: 63)。そしてその表象から切り離された興 奮量は別の利用へと回されるが、そこで興奮量の身体的なものへの「転換(Konversion)」が生 じると、ヒステリー症状が生まれるのである。
 さらにFreud は言った。「ヒステリーが、和解しない表象を無害なものにすることは、興奮全量を身体的なものに置き換えた結果としてできる(防衛―神経精神病、1894)」
 しかし問題はこの転換という機序自体が証明されてるわけではなく、転換性障害に心理的な要因 psychological factors は存在しない場合もあるのだ。心的葛藤が身体症状に転換されるという意味で用いられたが、それは仮説の一つに過ぎないのだとStone は主張する。

Jon Stone (2010) Issues for DSM-5: Conversion Disorder Am J Psychiatry 167:626-627.

 すなわちFreudの転換の概念を見直すことは、心因ということを考えることについての反省をも意味する。そしてそのような理由で、DSM-5においては、転換、心因性という考えが取り払われたのである。DSM-5における診断基準の特徴は、心因の存在、疾病利得を問わず、症状が意図的に制御できるかどうかについても問うていない。その意味でこれはかなり大きな概念上の変更ということになるのだ。