2024年1月2日火曜日

🔵トラウマと感情 2

 治療における陽性の感情への注目

フロイトが100年前に至った上述の考えは、私にはある意味では常識的なものに思える。精神療法においては患者はしばしば様々な感情的な反応を起こし、治療者もかなり巻き込まれる可能性がある。そしてそれは様々な治療上の展開を生み、思わぬ成果につながることもあれば、治療関係の決定的な破綻に至ることもある。特に恋愛性の転移は治療者は容易に巻き込まれ、治療関係そのものの破綻や性的なトラウマを生むことさえある。

そのような懸念を一つの要因として、精神分析では患者の陽性感情を引き起こすようなかかわりは一種のタブーとされて来た。フロイト自身は治療者が患者と個人的な関係を結ぶことについてはそれを戒めた。そのような戒めはいわゆる禁欲規則、すなわち患者の願望を充足することを戒めるという規則を遵守することが正統派の精神分析とされた。その結果として治療場面における陽性の転移は多くの場合抑制されることとなったのである。

ただし精神分析の歴史では、感情の持つ意味合いを高く評価して臨床に積極的に応用する立場も見られた。その代表としてフェレンチと、フランツ・アレキサンダーを挙げてみる。

フェレンチはフロイトの弟子であったが、きわめて野心的であり、師匠の提唱した分析療法をより迅速に行う方法を考案した。その中でも「リラクセーション法」は患者の願望を満たし、より退行を生むことを目的としたものであった。フェレンチはさまざまな事情から晩年はフロイトとの決別に至ったが、弟子のマイケル・バリントの「治療論からみた退行」(Balint,1968)という著書によりその業績がまとめられている。それによればフェレンチは患者の願望をとことん満たすことで患者の陽性転移を積極的に賦活したものの、その一部は悪性の退行を招き、悲惨な結果を生むこともあった。フェレンチはエリザベス・サヴァーンという患者の要望を聞き入れ、彼女との相互分析(お互いを分析し合うこと)を行った(森、2018)。しかしそれによりサヴァーンの症状をより悪化させただけでなく、フェレンチ自身の悪性貧血による衰弱を早めたとされる。

もう一つの試みはアレキサンダーによるものだった。アレキサンダーはハンス・ザックスに教育分析を受けたのちにアメリカ合衆国に移り、シカゴ大学で精神分析理論を自分流に改良した。彼も精神分析プロセスを迅速に進める上で様々な試みを行ったが、その中でも「修正感情体験」の概念がよく知られる。彼は幼少時に養育者から受けた不適切な情緒体験が治療者の間であらたに修正された体験となることで、分析治療が迅速に進むと考えた。アレキサンダーはV.ユーゴ―の小説「ああ無常」の主人公ジャン・バルジャンを例に示す。ある教会で燭台を盗んだジャン・バルジャンは、警察の調べを受けるが、その際に司祭が「それは自分が進んで彼に与えたのだ」と答えた。最初は司祭に対して厳しく懲罰的な父親イメージ(いわば転移に相当する)を持っていたであろうバルジャンは、司祭との間で幼少時とは全く異なる(修正された)感情体験を持ったことになる。これが「修正感情体験」の例であるが、アレキサンダーはまた、患者に対して叱ることのなかった親とは異なり、叱責をして治療を行ったという例も挙げている。


禁欲原則の持つ弊害とトラウマ理論


以上のフェレンチやアレキサンダーの試みにおいては、特に陽性の感情を積極的に喚起することが意図されていたが、それは明らかに従来の「伝統的」な精神分析に反したものであった。そしてフェレンチはフロイト自身に、そしてアレキサンダーも当時の米国の精神分析会から強い批判を浴びることとなった。

しかし実際の臨床現場では、陽性の感情を抑制する禁欲的な姿勢は多くの患者にとってはむしろあまり治療的とは言えない環境を提供することが少なくなかった。伝統的な分析家の治療スタイルは、自分については一切語らず、治療の多くの時間を黙って患者の話に耳を傾ける治療者に対して、患者はむしろネガティブな感情を持つことも少なくなかった。それは確かに患者の攻撃性の表現を促すことにつながった。しかしそれはまた患者が過去に受けた不十分な養育環境を再現してしまう可能性も意味していた。そしてその可能性と問題点を積極的に示してくれているのが最近のトラウマ理論であった。

現代の精神療法においては、来談者の多くにより語られる幼少時、あるいは思春期における性的、身体的、及び心理的なトラウマについてますます焦点が当たるようになって来ている。最近発表されたICD-11(2022)に組み込まれた複雑性PTSDの概念やアラン・ショア(Schore,2009)により示された「愛着トラウマ」という概念(すなわち母親との愛着が十分に形成されなかった過程を一種のトラウマとして理解する立場)が注意を喚起しているのは、多くの来談者の成育歴に愛着の欠損が見られる可能性である。その場合治療状況が再トラウマ体験となることがないような、十分な安全性やそれに基づく陽性の感情が醸し出されることの必要性が改めて強調される。この様な考えは精神分析の内部においては従来いわゆる「欠損モデル」として前出のフェレンチやバリントにより提唱されていたものの、これまで十分な注意が払われてこなかった視点である。そしてこの視点は従来の精神分析が要請していた禁欲、あるいは受け身的な治療者の態度との間に大きな開きがあるのである。フロイトの言った「治療の進展の妨げにならない陽性転移」は治療の進展を保証するのみならず、治療が成立する際の前提とさえ考えられることになるのだ。