2023年7月30日日曜日

連載エッセイ 6 推敲その1

  全体で12回(一年間)という約束でお引き受けしたこの連載も、今回が6回目である。すでに曲がり角に来たわけだ。最初はどのような方向に筆が向かうかを分からずに、ただ書きたいことは沢山あるだろうと思い、書き始めた。その後はだいたい前回の内容に連続性を持つ形で執筆することにしている。全体的な方向性はまだ見えてこないがあまり気にしていない。脳科学とは膨大な領域であり、しかもわからないことばかりだ。体系立てて論じようとしてもその手掛かりがつかめないのだ。そこで書いているうちに自然と方向が定まるだろうと思い、書いてきた。

 このようなあてどのない連載を読む方々には迷惑な話かもしれないが、実は書いている私は確実に考えが進んでいる。その結果として見えてきた部分とさらに見えなくなってきた分自覚されるようになってきているのだ。

 ただしここまでの、心とは何か、脳とは何か、AIとどこが違うのか、というやや漠然とした議論よりもう少し具体的な話を読者は期待しているのではないだろうか。例えば精神医学の対象となるような病気について話題にした方が読者も興味を持つのではないかと思う。そこで今回は解離性障害について、それを脳科学との関りから論じたい。


 解離性障害、と言われてもピンと来ない方のほうが多いかも知れない。いまだに精神医学の中でも市民権を得たとは言えないのがこの解離性障害という疾患である。いや、ここで「疾患」と書いたが、実は解離はむしろ特殊能力と言った方がいいのかもしれない。特に幾つかの人格が主体性を持って振舞うという様子(いわゆる多重人格障害、ないしは解離性同一性障害、以下「DID」と記載する)を目の当たりにし、しかもそのような人々も私たちと同じ人間だということを実感する時にそう思う。解離とは私達の脳に潜在的に備わっている能力である可能性がある。そして特定の人の脳においては、それが非常に研ぎ澄まされた形で発現するらしいのだ。

 ただし解離性障害にはそれ相当のネガティブな面を伴うことも多い。それは症状がコントロールを失って暴走してしまう場合があるからだ。例えばいくつかの自己が複数混在したような状態(つまりDID)では、当人は相当の混乱をきたし、社会的な機能が一時的に停止してしまうことさえあるのだ。