2022年12月24日土曜日

発達障害とPD 8

 さて以上の前提の上で改めて定義を見直してみよう。スキゾイドのエッセンスは以下のようなものだ。DSMでは「スキゾイドパーソナリティ障害は,社会的関係からの離脱および全般的な無関心ならびに対人関係における感情の幅の狭さの広汎なパターンを特徴とする。」となる。他方ASDについては同じくDSMでは「相互の対人的、情緒的関係の欠落、異常な近づき方、会話やお喋りの出来なさ、興味、情動、感情を共有することの難しさ。対人的相互反応で非言語的コミュニケーション行動をとることの欠如、人間関係を発展させ、維持し、それを理解することの欠如。

こうして見直すと、両者はかなり異なる臨床像を示すことになる。ちょっと特徴を抽出してみるならば、スキゾイドでは、対人スキルを持たないというわけではない。しかし人と交わることの楽しみが感じられないので、そこに関心を持ったりエネルギーを割いたりせず、むしろ一人でいる方を選択する。それに比べてASDでは本人は人と交わりたいがそのスキルが伴わずに上手く交われず、その楽しみを体験できずに寂しい思いをする。つまり両者は社会性の交流social interactionが上手く行かないが、その仕組みが違うのだ。

しかし上記の①、②などの研究が示しているのはスキゾイドの、上記とは少し違う病像だ。私なら以下のように書き換える必要があると考える。

「スキゾイドでは、対人スキルを持たないというわけではない。むしろ人と交わることにもある程度興味があるだろう。しかしそこに使うべきエネルギーが必要なので、むしろ一人でいる方を選択するのだ。」

つまりスキゾイドは人に対して心が動かないわけではないが、人に関わるエネルギーが多いので、結局引きこもってしまうという見方である。そしてそれは研究①、②が示している事でもあると思う。①にあるように、スキゾイドはしっかり扁桃核は興奮し、つまりは対人関係で気持ちが揺れているのだ。そして②に見られるように、ASDの人もスキゾイドの人も不安を共有しているのだ。

ここでもう一言いえば、スキゾイドの人たちは結局は人嫌いなのではなく、シャイなのだ。