2022年4月5日火曜日

他者について その58 責任能力のところの一部書き直し

 本章では司法の領域においてDID(解離性同一性障害)がどのように議論され、DIDを有する方々がどのように処遇されてきたかについて論じたい。
 私はこれまでこの問題にほとんど言及してこなかった。ただDIDを持つ原告の方の鑑定、ないしは意見書の作成に携わったことは何度もあり、司法の目を通してDIDの問題を考える機会をかなり多く持ってきた。そしてDIDの方が自分の行動にどれだけの責任を取るべきかという問題は、本書のテーマである交代人格と他者性という問題にとって極めて重要な意味を持つことを、私は最近になり自覚するようになった。DIDを有する人が交代人格の状態である違法行為を行った場合、その人は通常の犯罪行為を犯した人と同様に扱われるべきだろうか? それとも罪を問われるべきでないのか? この問題はDIDにおいていわゆる「責任能力」の問題をどう考えるか、という事に尽きるのである。

責任能力とは何か?

ここで本格的な議論に入る前に、責任能力という問題について簡単に触れたい。この概念ないしはタームは本章でこれから何度も出てくるからである。ただしこの用語はあくまでも法律用語であり、精神医学の用語ではない。しかも刑法ではその説明をしていないのである。それにもかかわらずDIDの法的責任などについて考える際に極めて重要なのだ。当事者が責任能力を有するかどうかによって、収監されるか、執行猶予つきになるか、無罪になるかが大きく変わってくるのである。

ちなみに少し間違えやすいのは、被告人が責任能力を有するという事は、その人がより重い罪を着せられるという事を意味するという点だ。ある能力を持つということが、自分自身にとって不利に働くという事情は慣れないとなかなかピンと来ないだろう。
 さて刑法が責任能力について定義していない以上、その事実上の定義としては最高裁の判例がしばしば引用されることになる。それによれば心神喪失とは、「①精神の障害により、②弁識能力または制御能力を欠いている状態」とされている。