2021年12月8日水曜日

偽りの記憶の問題 4

 昨日は東大の喜田グループの最新研究の「まとめ」を私なりに書き直して示したが、読んでも分かりにくかったかもしれない。そこで私なりにさらにもう少しわかりやすくまとめ直してみる(と言っても自分でも十分に納得していないので、ちゃんとわかりたいからに過ぎないが)。
 まず私たちはある出来事を記憶する際、特に印象に残った記憶は海馬が強く働いてそれをよりしっかりと記憶にとどめる。しかしそれでも記憶は次第に忘れていくものだ。それを心理学用語で消去という。これは時間経過とともにいわゆるエビングハウスの曲線に従って忘れられていくと考えられる。この図に書かれた一番下の黒い曲線がそれに相当する。


これを見る限り、何と一日後には40パーセントくらいしか覚えていないが、繰り返し復習すると記憶の定着度が高まるというわけである。それが赤線部分が示すところだ。(ちなみに記憶した内容は一晩寝た後にはより多く定着するという研究がなされている。)つまりある印象深い内容は、最初に強く記名されるとともに、何度も思い出されることで「復習」という効果があり、それだけ定着していくというわけだ。そしてここでの記憶は一般的なものであり、トラウマ記憶に限ったことではない。例えば、辛い出来事、驚いた出来事以外にも、嬉しい出来事なども何度も反芻するから長く記憶に残るというわけである。

 ではトラウマ的な記憶はどうだろうか。すでに書いたように、いやな記憶は何度も反芻され、それだけ定着しやすいという事が言える。でも単に嫌な、怖い出来事、というだけでなく、PTSDで問題になるような明らかなトラウマ記憶はどうだろうか?

 トラウマ記憶は通常の記憶と異なる性質を有するという事が知られている。一番の特徴はそれが通常の記憶と異なり、いわば情緒的な部分が時空間的な情報の部分と別れてしまったものである。これについてはかつて「忘れる技術」という本を書いた時に、記憶は認知的(「頭」の)部分と情緒的な部分と情緒的(「体」の)部分の組み合わせであるという説明の仕方をした。前者は時空間的な情報の部分であり海馬で作られるが、後者は扁桃核や小脳で作られる。一般的な記憶はその両方を備えているのがふつうであるが、それが分かれてしまい、例えば体の部分のみになってしまったり、両者はバラバラに思い出されると言ったことがトラウマ記憶の特徴であると説明した。
 さてその上で喜田グループの研究である。彼らはPTSDで生じるようなフラッシュバックを伴う記憶がどのように形成されるかを長年にわたって研究してきた。フラッシュバックとはあることを思い出そうとしないのに突然襲ってくる記憶である。それはトラウマ記憶として理解でき、つまり認知的部分と情緒部分が分かれてしまっていて、襲ってくるのは情緒的な部分のみである。それは自分でもよく分からないような何らかの切っ掛けで突然襲ってくる。その詳しいメカニズムは十分に分かってはいないが、一つたしかなのは、その記憶の想起の仕方が、その後その記憶がどの様な運命をたどるかに関係しているという事である。特に興味深いのは、トラウマ記憶は、そしておそらく記憶一般は、それを思い出すという事で一時的に「不安定」になるという事だ。不安定、とはそれがその後より強く記憶され続けるか、それとも忘れられていくかという選択肢を与えられるという事である。誤解を恐れず比喩を用いるならば、それまでパズルの一つのピースとして治まっていたものが、それを思い出すことでそこから外れ、それから先にどのような形で嵌っていくかが未定になるという事である。そして彼らが見出したのは、トラウマ記憶を思い出す時間が短いと、その記憶はよりしっかりと定着し(つまりそのピースはよりしっかりと嵌り)、思い出す時間が適度に長いと(例えば10分以上)それは薄れる方向に働く(つまりピースはサイズが小さくなったり、より外れやすくなる)という事だ。これを私はサラッと書いたが、実は臨床的にとても大きな意味を持つ。ある種のトラウマ記憶を短時間思い出しただけではそれは消える方向にはいかない。どうせ思い出すなら、安全な環境で10分以上思い出す必要があるという事だ。そしてひょっとしたらこのことは、EMDRがどうして有効な場合があるかとも関係しているかもしれない。EMDRではかなり時間をかけて個々のトラウマ記憶を想起し、作業を加える。それがその記憶の消去に繋がるのではないかという考えにも一理あるだろう。