教科書のような意味を持つ文章は、決して真面目路線を外せないというわけだが、書いていてそれなりに面白いところがある。(しかしやはり書いていて退屈だ。)ただし、いかにも学術的に確立しているかのような書き方で、自分だけの考えを入れてしまえるところも面白い。
診断に必須の特徴:
解離性健忘の症状は、自分にとって意味を持つ最近の出来事、特に外傷的ないしは大きなストレスを伴う出来事に関する記憶(エピソード記憶)を想起する能力が失われることであり、それは単なるもの忘れでは説明できない。健忘された記憶は、個人生活、家族生活、社会生活、学業、職業あるいは他の重要な機能領域において生じ、時には深刻な機能障害をもたらす。但し当人はしばしば、自分の記憶の障害に気づかないこともある。同様の健忘は中枢神経系に作用する物質(アルコールやその他の薬物)の使用、神経系の器質的な疾患(側頭葉てんかん、脳腫瘍、脳炎、頭部外傷など)でも生じうるが、それらは除外される。
解離性遁走の有無:
解離性健忘では、空間的な移動を伴う解離性遁走(自分自身のアイデンティティの感覚を喪失し、数日~数週間ないしはそれ以上にわたって、家、職場、または重要な他者のもとを突然離れて放浪すること)を伴う場合がある。
診断的特徴
解離性健忘においてはそれが生じる際に解離が関与していることが前提となる。すなわち記憶内容は心のどこかに隔離され保存されていることになり、それらは催眠その他により想起できる可能性がある。通常は健忘の対象となる出来事が起きている最中には通常と異なる意識状態(人格状態)であり、そこで記憶されたことが、もとの人格状態に戻った際に想起できないという形をとる。ただし通常の人格状態で記憶されたことを、後に別の人格状態になった際に想起できないということもあり、その場合は解離性同一性障害との鑑別が重要となる。また健忘される出来事が起きている最中に解離性のトランス状態や昏迷状態にあり、記銘力そのものが低下している場合には、その出来事の想起はそれだけ損なわれることになる。
一般的に情緒が強く動かされる体験はより強く記憶される傾向にあるが、トラウマやストレスにより扁桃核が刺激された際には、記銘の際に重要な役割を果たす海馬が強く抑制されることで、通常のエピソード記憶の記銘自体が損なわれることにもなりうる。するとその出来事のうち情緒的な部分のみが心に刻印され、自伝的な部分を欠いた、いわゆるトラウマ記憶が生成される。するとその記憶はそれに関するエピソードとしては想起できないものの、感覚的、情緒的部分のみが断片化して突然フラッシュバックや悪夢等の形でよみがえることが知られている。
解離性健忘に関連するストレスとしては、様々なものが考えられる。例えば幼児虐待,夫婦間トラブル, 職場でのパワーハラスメント、性的トラブル,法律的問題,経済的破綻などである。健忘とこれらのストレス因との関連について、本人の認識が十分でない場合もあり、また健忘の事実が本人に気づかれない場合もある。
分類
解離性健忘は、限局性健忘、選択的健忘、全般性健忘、系統的健忘等に分類される。
限局性健忘:限定された期間に生じた出来事が思い出せないという、解離性健忘では最も一般的な形態である。しかし当人は記憶欠損の重大さを過小評価し、それを認めるよう促されると不安になることがある。通常は一つの外傷的な出来事が健忘の対象となるが、児童虐待や激しい戦闘体験、長期間の監禁のような場合にはそれが数力月または数年間の健忘を起こすことがある。
選択的健忘:ある限定された期間の特定の状況や文脈で起きた事柄を想起できない。例えば職場で働いていた記憶はあるが、そこで上司からトラウマを受けたことを思い出せない、などである。
系統的健忘:ある文脈についての記憶のみ想起できない。たとえば学校のクラブ活動でトラウマ体験があった場合、その頃の生活全般は想起できても、そのクラブ活動にかかわった顧問や仲間、あるいはその活動そのものを思い出せないということが生じる。しかし同時期のその他のことは想起できるために、当人が健忘そのものに気が付かないこともある。
全般性健忘:自分の生活史に関する記憶の完全な欠落である。突然発症し、一定の期間(通常は数時間から数日、時には数か月も及ぶ)しばしば放浪などの空間的な移動を伴う。そして我に返った時には自分の名前さえも想起できなくなることも多い。
有病率
米国での成人を対象とした小規模研究において,解離性健忘の12カ月有病率は18%(男性10%,女性2.6%)であつたとされる。(DSM-5)
症状の発展と経過 全般性健忘は従来わが国では全生活史健忘とも呼ばれていた。その中でも特に臨床的に注意が喚起されるのが、遁走を伴うもの(解離性遁走)である。その健忘の対象は当人の生活史全体(幼少時からの全体、ないしはその一部)に及ぶ。通常その発症は突然であり、そのために社会生活上の混乱を招くことが多い。典型的な例では仕事でのストレスを抱えていた青年~中年男性が通勤途中で忽然とその行方が分からなくなり、しばらく遠隔地を放浪したり野宿をしたりして過ごす。その間は意識混濁を伴った解離状態ないしトランス状態となり、その期間は通常は数時間から数日、時には数か月も及ぶ。そして我に返った時には自分についての個人史的な情報、時には名前さえも想起できないことがあり、当人は通常は非常に大きな困惑感を持つ。
発見された時点で救急治療の対象となることが多く、しばしば器質的な異常が疑われて種々の検査(MRI,脳波その他)が行われるが、通常は何も異常を発見できない。帰宅後も家族や親を認識できず、社会適応上の困難をきたすものの、記憶の喪失以外による当惑以外にはうつ症状を含めた精神症状は見られず、平穏に社会適応を回復していくことが多い。遁走から戻ってからの記憶は通常保たれるが、それ以前の失われた生活史の記憶がどの程度回復していくかはその程度やタイミングに大きな個人差があり、時には遁走の期間も含めた幼少時からの記憶の全体を回復せず、自分の両親や妻子さえも他人としてしか認識できないままで時を過ごす。事例によっては発症時までの記憶を徐々に、ないし突然回復するが、遁走していた時期の出来事を想起することはまれである。
全般性健忘を呈する人はそれ以前に解離性の症状を特に示さなかった場合も多く、その後も同様の健忘のエピソードを示さずに一生を送ることも少なくない。ただしDIDにおいて特定の人格が一時期独立して生活を営んだ後に人格交代が生じた場合も、その病態が全生活史健忘に類似することがある。
ちなみに健忘の対象はエピソード記憶に限定され、過去に取得したスキルや運動能力(パソコン、自転車、将棋など)については残存していることが多く、それが適応の回復に役立つことが少なくない。
解離性遁走に見られる一見目的のない放浪がともなわない全生活史健忘もあるため、DSM‐5やICD‐11で前者が後者の下位分類となったという経緯がある。また短期間に見られる解離性健忘は臨床的に掬い上げられていない可能性もある。また一時的にストレス状況、例えば戦闘体験や監禁状態に置かれた際に生じた健忘は比較的短期間で回復することも少なくない。
疫学その他
解離性健忘は、その発症に先立ちトラウマやストレス体験が生じていることが多い。それらの例としては職場や学校でのストレスやトラウマ以外にも小児期の被虐待体験、戦闘体験、抑留などが挙げられる。また解離傾向などの遺伝的な負因も関与している可能性がある。なお高度に抑圧的な社会では文化結合症候群などに結びついた解離性健忘に明確なトラウマが関与していない場合がある。」