結局DIDの診断には症状の縦断的な流れを聴取することがとても重要になる。実際にはDIDにおける幻聴や周囲との関係性に関係念慮的なニュアンスが加わることもあり、それは重症対人恐怖症における精神病様症状の鑑別の困難さに通じるところがある。幼少時から生じている解離様症状については、それがDIDの症状であるという可能性をより強く考えつつ、場合によっては統合失調症との併存を考え、場合によっては抗精神病薬を用いることで反応を見ることも考えるべきであろう。
通常解離性障害における精神病様症状は抗精神病薬にあまり反応しないが、とりあえずは少量を用いて反応を見ることに関しては問題はないであろう。事実DIDの方で抗精神病薬を少量服用することでより安定している患者さんはいる。ただしそれは統合失調症の可能性をより強く示唆するともいえないであろう。
詐病のような振る舞いをすること
これについては前回以下の内容で書いたが、あまり変える必要を感じない。しかしこのままコピペをすると「自己剽窃」になってしまいかねないから手を入れなくてはならない。
「 解離性障害について患者に説明をするうえで重要なのは、その症状のあらわれ方が、時には本人によりかなり意図的にコントロールされているように見受けられることである。そしてそのために詐病扱いをされたり、虚偽性障害(ミュンヒハウゼン症候群)を疑われたりする可能性が高い。ある患者は診察室を一歩出た際に、それまでの幼児人格から主人格に戻った。その変化が瞬間的に見られたために、それを観察していた看護師から、患者がそれまでは幼児人格を装っていたのではないかと疑われた。一般に解離性障害の患者は、自分の障害を理解して受容してもらえる人には様々な人格を見せる一方で、それ以外の場面では瞬時にそれらの人格の姿を消してしまうという様子はしばしば観察され、それが上記のような誤解を生むものと考えられる。」
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「 解離性障害について患者に説明をするうえで重要なのは、その症状のあらわれ方が、時には本人によりかなり意図的にコントロールされているように見受けられることである。その理由についてはすでに述べたことであるが、精神科のみならず身体科のあらゆる症状を示す可能性があるからであり、これは一般科の医師のみならず本人にとってもどこまでそれを意図的にコントロールしているかがわからなくなってしまう場合もある。あるクライエントはネギをトントンと刻んでいるうちに(中略)コントロールが出来なくなってしまったという。その症状はほどなくして治まったが、そのような訴えを聞いて「自作自演ではないか」という疑いの目を向ける精神科医も少なくないであろう。一般人なら「そんなものは病気ではない、気のせいだ」と一蹴されてしまうであろう。またある患者はDIDの診断は確定していたが、診察室を一歩出た際に、それまでの幼児人格から瞬時に主人格に戻って受付に普通に会釈をした。その様子を観察していた看護師から、患者がそれまでは幼児人格を装っていたのではないかと疑われた。
これらの事情から解離性障害は詐病扱いをされたり、虚偽性障害(ミュンヒハウゼン症候群)を疑われたりする可能性が高い。一般に解離性障害の患者は、自分の障害を理解して受容してもらえる人には様々な人格を見せる一方で、それ以外の場面では瞬時にそれらの人格の姿を消してしまうという様子はしばしば観察され、それが上記のような誤解を生むものと考えられる。治療者はその様な扱いを患者が受け続けてきた可能性も含めて話を聞き、場合によってはそれまでの苦労に理解を示すことも重要になってくるであろう。そして何よりも、解離性障害の臨床においては、そのような「疑い」の気持ちを起こさせる性質を自分たちの中に気づくことも大切と言えよう。」