2019年7月14日日曜日

精神分析における揺らぎ 1

精神分析における「揺らぎスト」、アーウィン・ホフマン

精神分析学は、心を知る上で最もパワフルな理論であることは間違いないだろう。現在の精神分析は、20世紀のはじめにフロイトにより作り出されたものとはずいぶん異なっては来ているが、それでも非常に強力な理論体系であることは間違いない。なぜならそれはいわば古典的な分析理論を絶えず更新する形で発展しているからである。つまりそれ自体が常に新しいものに変貌しつつあるということだ。
精神分析とは、たとえば天文学という学問分野に似ている。天文学はおそらく自然科学としてはもっとも古い学問であり、それこそ古代エジプトにはすでに天文学にまつわる遺産がいくつも見出される。古代人は星空を見上げ、その星たちのならびに意味を見出し、また星の運行を基にして暦を作り、未来を予言しようとした。それ以来星の動きに関する理論は常に発展をし続けてきている。もちろん当時の天文の知識と現在のそれとは雲泥の差があるだろうが、それでも天文学自体は決して廃れることはない。
精神分析も一点を除いて同じである。それはある時代にフロイトにより定義付けられたかたちで成立したという点だ。そしてそのフロイトが打ち立てた内容と現代的なそれとの間には大きな開きがあるかもしれないが、そもそも精神分析学を「精神を分析する」学問と考えた場合は、天文学と同じように発展し続けるものなのだ。
さて精神分析の歴史の中で、様々な理論が提出され、精神を理解するうえでの有力な手がかりと考えられてきた理論は、残念ながらある病理を的確に表現するものではあっても、それを個別の治療関係に応用することには難しさが伴うという問題があった。そしてそれは実は精神分析学が天文学と異なっていたことと関係している。
天文学は、非常に素直かつ単純に、星の動きを解明することに向けられるといっていいだろう。おそらくそこに偉大な創始者とその表したテキストなどは存在しなかった。たとえば「地球の周りを集会する天体について研究すること」などと定義されていたら、地動説を唱える人たちは学会から追い出されていただろう。しかしその発展の方向にその種の制限はなかった。(もちろん宗教的な意味での制限はいたるところにあり、偉大な天文学者、たとえば地動説を唱えたコペルニクスなどが罪人として扱われたという歴史はよく知られる。)ところが精神分析学は偉大な創始者フロイトがいて、そのテキストが存在していたため、精神分析学の進む方向は最初からある程度の制限を受けていた。もし精神分析学が天文学と同じように、「人の心を理解する」くらいのゆるい定義のされ方をされていたら問題ではなかったが、フロイトは精神分析学を、人の無意識を探求することにより精神を理解する学問と定義づけた。そしてそこで無意識の存在を否定したり、それと関係ない議論を行う理論は、精神分析とは言えずに、排斥されることになったのだ。これはちょうど、天文学が「地球の周りを回っている星の学問」と定義されたようなものである。すると実は地球自身が運動しているという前提の学問は天文学から排斥されることになってしまい、その健全な発展は期待できなかったことになる。天文学会は天動説に従った理論ばかりが提出されることになり、およそ現実とはかけ離れた議論が続くことになっていたはずだ。そして精神分析学においても、そこで主流の理論は、人間の心の無意識の探求という方向性にそぐわないものを排斥する形で展開してきたことになる。
何か非常に難しい議論を始めたという印象を与えるかもしれないが、要するに従来の精神分析理論に、揺らぎの議論が入る余地はほとんどなかったということを言いたいのである。