2018年11月19日月曜日

ある対談の続き 4


N先生少し確認ですが、多元化というのは、具体的にはいわゆる健忘障壁とかがない、という意味でしょうか。つまりそれぞれの人格が独立していて、しかし情報交換が意識されているということでよろしいでしょうか。
 S先生:多元化もいろいろな意味があるとは思うんですけれども、要するに固定された視点ではなくて、いろいろなところに意識や視点を変えられる自由さみたいなものを意味します。あるいは行動においても、そういうのもひとつの現代の必要な能力かなというふうに思ったりするものですから、そんな言葉を使いました。
 M先生:あともうひとつ申し上げたいのは、へその緒を切った直後というのは赤ちゃんの自我状態が最初は6つしかない、ということです。その後にもう本当に急速に様々な状態っていうのが出てきて、そこに適切な親の関わりがあって、きちっと私というものができあがっていく。そのときにまなざしがなかったりした人は、例えば、30歳だったら30年分の不足があって、50歳だったら50年の不足があって、そういう人たちの、そのでこぼこについての生物学的なレベルでの限界ということをわかった上で、そこにいいものも絶対にあると信じるべきだと思います。それは適応のプロセスで生じたのでしょう。今日話し切れなかったことですが、適応としての私の姿というものをその人自身が認められるというところまで、導いてあげることができれば、それほどひどいことは起きないのではないかと思います。たとえば患者さんに心理教育を丁寧にすることで、みんなが協力し始めることもあるでしょう。私はトラウマを体験した子供の人格は寝かしてあげればいいと思うんです。なぜならばその子しかDVを体験していわけで、その子はいつも怯えているという運命にあるのです。だからもう本当によく頑張ったから眠っていいって言ってあげていいと思うんですね。もし、その他の子たちも見ていたら、その他の子たちに、エゴステイトワークをしてあげた方がいいのだろうと思います。そのときに何が起きてたのかという自我状態を生物学的な見地から見てあげることによって、その人格状態をどうして差し上げるのが一番よいのか、と考えるべきだと思います。よく頑張ったじゃない、休んでもいいよ、と言ってあげる。また起きてくるかもしれないけれど、そのときに一番気持ちよく寝かせてあげるっていうことが重要です。私のケースの中で、寂しいって言ったから、じゃあ、遠隔テレビを持っていったらと、とっさに言ったら、「わかった、そうする」と言って寝た子がいます。そうしたら、他の子たちも、「その子が寝るんだったら私も寝よう」と、寝たり、ということもあったんですね。
 S先生そうですね。納得させて、まぁ表現してもらうというか。もう、何か役割を終えると、自分の気持ちとか伝え終わると、もう、それで、一種の弛緩状態になって、確かに、眠りにいくというのは理想のような感じはしますね。
 O先生その場合、ひとつの指標というのが、交代人格のエネルギーなんです。彼()が出ているときに、もう眠くなって、もういい、みたいになっていくんですよね。そうすると、これがひとつのサインかなというふうに思います。そのような時は自然に、「あぁ、眠たいんだね、じゃあ、寝ていいよ」 というふうな感じで。でも、眠たくなる前には、何かを達成したいと思っている可能性もあります。何かに満足したい。そしてどうしたら満足できるか、ということは、人格によって違うと思います。自分がかつて見たこと、聞いたことを話したいのかもしれないし、自分が買ってもらえなかったリカちゃん人形を買って、遊んでもらってから眠る、ということかもしれません。人生で何を思い残しているのかを、それぞれの人格に聞いていくことが必要なんだろうなっていうふうに思いました。