2018年11月18日日曜日

ある対談の続き 3


私の知っているある有能な臨床家は、まだ複数のEPを持っているし、その方はISHもしくはオルファによって導かれていた時期があるということです。本当に少しですけれども、こうしなさい、こうしなさい、という声が聞こるとのことです。それはその方の、おそらく7歳以前の大きなトラウマと関係しているんだと思うんですね。アリソン的な何かだと思うんですけれども。でもその方がDIDだったかというと、そうじゃないと思うし、別に障害レベルではないし、そういう人って結構いたっておかしくないという意味において、私は人間が統合したものだという考え方が、あまりありません。中井久夫先生が言ったみたいに、人間は超多重人格なんだ、人格の間を行き来できればいいだけであって、例えば自分の中の人格を「人差し指ちゃん」とか言っているとだんだんそこが独立して来るというようなことがあるので、そういう意味では直接話しかけないとか、なるべく自分からは名前をつけないとかというのは、意識していますけれども、私は分けないけれども無理やり一緒にもしないという立場をとっています。それは臨床体験からなのです。

S先生:少しだけコメントいたします。私は解離を空間的変容と時間的変容、つまり、離隔と区画化という形に分けて考えているのですが、現代社会においては、離隔というか、離人症が非常に蔓延していて、これはどうしようもなく我々の特徴の時代でもあるんだろうなと思うんです。だから統合ということで離隔という離人症的なものを無理やり一緒にしてしまうのではないにしても、ころっころっころっと変わり過ぎるよりは、多少の統合は必要だと思うんですね。それぞれの体験の記憶がなくなってしまうと、責任の主体はどこにあるのか、ということになるわけです。要するに、離隔、離人の問題を多元化という方向に持っていくべきではないかと思っています。他方では統合にもどこに意味、どれだけの意味を持たせるかということも問題にはなると思いますが。フロアからとか、シンポジストの方々とか、いろいろこれからお話できればと思っていますけれども、皆さん、フロアから何かございますでしょうか。どうぞご自由にお願いします。どうでしょう。