2017年3月28日火曜日

精神療法の強度 推敲 ⑨

通常この種のバウンダリーには、私たちは極めて敏感です。あれほど社交的な身体接触の多い欧米人ですら、通常交し合うハグの中に、通常より強い力、不自然で過剰な身体接触が混入すれば、それにすぐに気がつくでしょう。ましてや日本人の場合には、ほんの僅かな身体接触はとても大きな意味を持ちます。その中でも性的な意味を持つものは即座に感じ取られる傾向にあります。
 身体接触の持つ意味は、またきわめて文脈依存的でもあります。ですから治療終結の最後の日に治療者が握手の手を差し伸べても、極めて自然に感じ取られるとしても、通常のセッションの最後に急に治療者が握手の手を伸ばしてきたら、患者さんを混乱に陥れるかもしれません。すると明白な身体接触と、非接触の間には、極めて微妙なバウンダリーが存在することになります。それは身体接触の程度や、それが行われるタイミングという要素を担っています。
同様のことは心理的なバウンダリーについても言えます。明白な言語的な侵入と全くそうでない言葉の交流、あるいは治療者の明白な自己開示を伴った言葉と匿名性を守ったコメントや明確化の間にあるバウンダリー。治療者は言葉を交わしながら、しばしばそれらのバウンダリー上をさまよっています。実はバウンダリー上のさまよいこそが重要なのであり、そこには驚きと安心がない混ぜとなる、ある種の創造的な交流が行われる可能性があるのです。