2016年11月22日火曜日

強度のスペクトラム 推敲 ②

スペクトラムという考え
そこで私は精神療法におけるスペクトラムの考えを提示したいと思います。要するに精神療法には、密度の濃いものから、薄いものまで様々なものがありますが、どれも精神療法には違いないという考え方です。これは私と一緒にやはり30分セッションをしていただいている7人の心理士さんたちの名誉の為でもあります。
 このスペクトラムには、一方の極に、フロイトが行っていた「週6回」があり、他方の極に、おそらく私が精神療法と呼べるであろうと考える最も頻度の低いケース、つまり3ヶ月に一度15分、というのが来ます。大部分はこの両極の間のどこかに属するのです。その横軸を、仮に精神療法の「強度」とでも呼びましょう。一番左端はフロイトの週650分の強度(仮にこれを10としましょう)の精神分析です。通常の週450分は、強度8くらいでしょうか。週一回は強度4くらいということにしましょう。そしておそらく左端近くには、私の患者Aさんの、3か月に一度15分が来るでしょう。これを強度0.5としましょう。(フロイトは、なぜ週6回会うのかと問われて「だって日曜日はさすがに教会に行く日だから会えないだろう」と答えたと言います。つまりフロイトにしてみれば週7回が本来の在り方だったのかもしれません。それを強度10とするならば、週4回はほんとうは強度8くらいにしておかなくてはならないところです。)
私が言いたいのは、強度は違っても、それぞれが精神療法だということです。その強度を決めるのは、経済的な事情であったり、治療者の時間的な余裕であったりします。患者の側のニーズもあるでしょう。一セッション3000円なら毎週可能でも、一セッション6000円のカウンセリングでは二週に一度が精いっぱいだという方は実に多いものです。あるいは仕事や学校を頻繁に休むことが出来ずに二週に一度になってしまう人もいます。その場合二週に一度になるのは、その人の心がけのせいとは言えないでしょうし、「二週に一度なら意味がないから来なくていいです」というのも高飛車だと思います。
私は週4回のケースを持ったことがありますし、週4,5回の精神分析を5年ほど受けたこともありますので、この場でこのスペクトラムについて話す権利を得ていると言ってもいいでしょう。そうでなければ「週4回のセッションを受けたり、行ったりしないで、お前に何が言えるのだ」と言われてしまいます。私はもともとバリバリの精神分析志向の人間でしたし、分析のトレーニング中に、2000ドルもかけて分析用のカウチを特別発注し、今での私のかさばる財産になっています。ちなみにそのカウチは仕事場に置くこともできずに自宅に持ち帰り、カミさんがベッド代わりに一時使ってくれました。ところが「あのカウチは寝返りを打つと落ちてしまうほどに狭い」と言われてしまい、今は彼女はカウチの横に布団を強いて寝ていますが、本当にインテリアに使うこともできない、分析のカウチって、意外と潰しが効かない代物だなあ、と思う毎日です。まあそれはともかく・・・。