2015年8月20日木曜日

自己愛(ナル)な人(推敲 9/50)

ここの部分は、誤字を多少直した程度か。

恋愛詐欺のナルシシスト(木嶋佳苗の例)
サイコパスは人を利用するためには手段を選ばないところがある。男性なら男性的魅力や身体能力、経済力、女性なら美貌や優しさや性的魅力を惜しみなく表現して相手を騙す。彼らが「成功したサイコパス」であるなら、それだけ実際に自信にあふれ、魅力的に見える能力に長け、その分相手に付け入るすきを与えることにもなろう。そして恋愛詐欺、結婚詐欺は、サイコパス型自己愛者の格好な活躍の舞台ということになる。
一連の婚活詐欺殺人でその名の知れ渡った木嶋佳苗被告のことを覚えていらっしゃる方も多いだろう。彼女もまた典型的なサイコパス型自己愛者だったと言える。
 事件の概要を少し振り返ろう。20098月6埼玉県富士見市の月極駐車場内にあった車内で、ある会社員男性(当時41歳)の遺体が発見された。死因は練炭による一酸化炭素中毒であったが、自殺にしては不審点が多かったことから警察捜査が始まった。その結果、男性は被疑者住所不定・無職の女性、木嶋佳苗(当時34歳)と交際していたことがわかった。そして捜査していくにつれ、木嶋にはほかにも多数の愛人がおり、彼らの何人かも不審死を遂げていることがわかった。埼玉県警は木嶋が結婚を装った詐欺をおこなっていたと断定し、9月25に木嶋を結婚詐欺の容疑で逮捕した。また、逮捕時に同居していた千葉県出身の40代男性から450万円を受け取っていたことがわかったという。
20101月までに、木嶋は7度におよぶ詐欺などの容疑で再逮捕されている。警察は詐欺と不審死の関連について慎重に捜査を継続させ。2月22に木嶋は殺人罪起訴された。窃盗罪詐欺罪などですでに起訴されており、あわせて6度目の起訴となる。10月29には東京都青梅市の当時53歳の男性を自殺にみせかけて殺害したとして警視庁に再逮捕された。ただし、被害者男性の遺体は、当時は「自殺」と断定されて解剖されていない例もあり、死因に関する資料が乏しい中での、極めて異例の殺人罪の立件となった。(Wikipedia「木嶋佳苗」の項目よりかなり引用した。)
木嶋は獄中にありながら、ブログを更新し、今年(2015年)になって自伝的小説「礼讃」を発表した。中には現代の女性に向けてこんなことが書いてあるという。
「女同士の付き合いにかまけて、男性を大切にすることを忘れてしまったのではないか?」「私は男性に対して演技をしたことはない。男性が望むことをするのが、私にとっての喜びであり、それが自然な行為だった。―中略―(男たちの抑圧された心の奥を汲取ることで)そうした心の深いところから無意識に湧き出たもののふれ合いは、セックスより強力な接着剤になる。その上、セックスも良ければ、離れられないのは当然だろう」。
保険金殺人をした女性がどうしてこのように人さまに説教をする心境になれるのだろう。これだけでも驚くべき自己愛である。しかも彼女は犠牲になった男性たちを救済していたかの書き方をしてあるのだ。しかも彼女にとっては関係した男性に被害を与えたという実感すらなさそうである・・・・。
一般にサイコパス的な自己愛者がどうやって自分の行為を正当化するのかという問いへの答えがこの木嶋の筆致の中にある。彼(女)は自分のかかわりが喜びや興奮を他人に与えていると感じる。まるで彼らが死んだのは、その救済の代償であり、ある意味では自業自得であるかのように。
ここからは北原みのり 「毒婦 - 木嶋佳苗 100日裁判傍聴記」 講談社文庫 2013年を参考にする。この本は裁判傍聴記であり、本人の思考や自己正当化などを見ることは出来ないが、彼女が傍目にどう映っていたのかを知る上で大いに参考になる。結論から言って、木嶋はサイコパス的な自己愛者の一型としての、恋愛詐欺のナルシシストといえると思う。
著者北原は傍聴を始めてすぐに、ある種の木嶋の魅力に取り込まれる。北原の記述を元に少しまとめよう。木嶋は逮捕当時34歳、インターネットで知り合った男性たちから1億円以上のお金を受け取り、彼女の周囲では複数の男性の不審死が起きた。マスコミが特に注目したのは、彼女の容姿だった。「どうしてこんな容姿で、男たちを次々にだませたのだろう。もし彼女が美人だったら問われなかったようなことが、まるで大きな問題のように扱われた。」(北原P3)ところが筆者は法廷で見せる彼女の以外に繊細で洗練された身のこなしに驚く。周囲の傍聴人も「意外にいけるじゃないか」「可愛い」などの声が聞こえたという。そして法廷での彼女の服装の選択、書類にボールペンで文字を書くしぐさ、それらの一つ一つの所作が綺麗だ、とまで言うのである。
 裁判では彼女の犠牲になった男性とのかかわりが明かされていくが、彼らが彼女に引かれていくプロセスはそれなりによくわかる。メールの文章の量が多く、心遣いもこまやかである。自分のセックスの魅力や、誘いかけをさりげなく織り込む。実際に会って得意の料理でもてなす。多くの男性が一度会った木嶋に、見かけ以上の魅力を感じ、信頼を寄せていくのだ。そこにあるのは木嶋の自信にあふれたしぐさ、料理の腕前、気の配りの細やかさである。それでいて彼女はいつも男性と会う時、すっぴんで会っていたらしい。そして木嶋は自分の容姿に対する自信のなさを否定しない。むしろ「私は内面を磨いています」という言い方をして、誠実さや心の美しさ、人間的な魅力をさりげなくアピールするのである。そして男性が木嶋に会う際に同伴した家族などからも好印象を引き出す。
しかし、である。彼女の頭には男性が金づる以外の何物にも見えていない。ビーフシチューを振舞うのと平行して、男性の自殺を装うための練炭をしっかり用意するのである。
本書を読む限り、木嶋は腕利きのサイコパスであったことがわかる。なぜ彼女がブランド品に身を包んだり、口紅を塗ったり、脂肪吸引をしたり、付けまつげをしたりしないのか。それは内面の美しさを「演出」するためだろう。人をだますのにあからさまな仮面をつけるのは逆効果であるということを彼女は知っている。内面から自然と誠実さがにじみ出てくるかのように見せることが彼女のテクニックなのだ。そしてそのためには、ある意味で自分が内面から美しく誠実であると信じ込んでいることが必要なのだ。この点がナルシシズムの真骨頂なのである。
 木嶋はおそらく自らを犯罪者、悪者とは思っていないだろう。彼女は確かに人殺しである。でもその部分、と男性につくし信頼を勝ち得ている部分は見事に切り離され、別個に成立している。彼女の自伝的小説「礼賛」に見られるような、男性をあたかも救済していたかのような記述は、彼女の本心でもあるのだ。
先に、私はサイコパスは不安や恐怖が欠如していると述べた。それが彼らに妙な精神の安定や自信を与えるのである。木嶋佳苗の場合も、傍聴席で見る彼女は落ち着き払い、動揺することが少なく、それが彼女に独特の存在感と自信を与えていた。女性の傍聴者の中には、そのような木嶋に惹かれ、遠方から訪れる人もあったという。ふつうなら自分の運命がまさに左右される裁判に臨む際は、不安になったり動揺したりしてもおかしくない。ところが木嶋はむしろ自分がどう映るか、どのように見られているかを意識し、髪形や服装や靴に気を配っているようであった。この妙な、おそらく正当な根拠のみじんもない落ち着きと自信は、彼女が生理的、精神的な動揺をあまり感じていないとすると納得がいく。誰でも打ち解けた仲間と会話を楽しんでいる時には緊張せずに素の自分をさらけ出すであろう。それを彼女は法廷でやってのける。しかも動揺していないために精神のエネルギーを、いかに人をだまし自分のコントロール下に置くかに費やす事が出来るのである。
では木嶋の自己愛の部分はどうか。彼女は「頭のいい」人間である。自分がなれるはずのない姿は思い描かない。自分が美人でないことは最初から認めている。彼女が特に雄弁になるのは、自分のセックスの能力であり、これについてはよどみなく語ったという。
弁護士:「(男性は)感想を言いましたか?」
木嶋:「はい。今までした中で、あなたほどすごい女性はいない、といわれました。」
そこで傍聴席の空気が変わり、皆がぐっと身を乗り出した、と北原は書く。
「男性たちには、褒められました。具体的には、テクニックではなく、本来持っている機能が、普通の女性より高いということで褒めていただくことが多かったようです。」
私は社会勉強が足りないために、私は木嶋が言っていることがさっぱりわからないが、なにかとても自分の身体部分を自慢しているらしいことだけは分かる。殺人の被告として証言している女性が、ここまで言うだろうか。ここまで人は自己愛的になれるのだろうか。しかしそれ以外にも彼女はピアノはプロ級、料理の腕も一級品、と自分を売り込み、また実際の実力もそれなりに備わっていた。また彼女の書く字は実際にとても端麗であったという。
木嶋の成育歴にもほかのサイコパスと同様の点がみられる。それは特記すべきトラウマや虐待が見られないという点である。 木嶋は18歳で上京するまで、北海道の東の果て、別海町で過ごす。製材業を営む父親、ピアノの教師の母親のもとに生まれる。三歳、八歳下に妹、六歳下に弟が出来る。下の子供たちの面倒見のいい、「いい子過ぎる」長女として描かれる木嶋。父親を愛していたが、母親とは情緒的な距離があり、高校時代には一人で家を出て祖母宅で過ごすようになったという。
 以前にサイコパスたちにおいて、サイコパス性は幼少時から見られると書いた。木嶋のそれはさほど目立たない形ではあるが、すでにかなり若いころから発揮されていた。すでに彼女に関しては高校時代から売春に手を染めていたといううわさがあったというが、陸の孤島にも近い狭い町ではあまり派手な動きは出来なかったのであろう。
むしろ才能を発揮したのはお金を引き出す方面だった。中学3年の時、家族ぐるみで付き合いのあった家庭から印鑑と通帳を持ち出し、60キロ離れた根室の郵便局までタクシーを走らせ、300万円の預金を引き出そうとして捕まった。わざわざタクシーで乗り付けた中学生の女子は、さすがに郵便局職員に不信がられ、そこから発覚したという。
 しかし3年後の高校3年時には、木嶋は再び同じ家から通帳と印鑑を盗み出し、現金700800万を引き出すことに成功してしまう。返済した父親はさすがに、自分の娘が手の負えない存在であるということに気が付いたという。この大胆さ、図太さ。木嶋はすでに中学生にして、人を殺めこそしなかったが、サイコパス的才能を開花させていたといっていい。決して「たたき上げ」ではない、もって生まれた才能としてのそれを。