2015年4月13日月曜日

精神分析と解離(7)


フェレンチ、すごい!
解離の議論を誰が先取りしていたか、と言う話だが、マッソンがフェレンチのことをあれだけ取り上げたのもわかる気がする。1932年、すなわち彼がなくなる一年前に発表した「言葉の混乱」は、精神分析の世界ではあれだけバッシング(というより無視、というべきか?)を受け、フロイトからも発表をたしなめられたわけだが、要するにフロイトの方針とは全然別のことを言い出したというのが問題だったのだ。しかしそれについても、森茂起先生の「トラウマの発見」(講談社選書メチエ、2005)はすごい。執念でこのテーマをまとめている。またフェレンチの臨床日記を翻訳なさっているところがすごい。これってすごい厚い本だぞ。森先生は精神分析の始まりの時期を研究していて、おそらく彼の人生に強烈に惹かれたはずだ。

名著である

それにしてもフェレンチの足跡を辿ると、ひとつの特徴が感じられる。それは真実を追求するという態度、矛盾や欺瞞を排する態度、博愛的な態度である。彼は精神分析家が少しお高く留まっているところが気になったのだ。人間はみな平等なのに、というわけであろう。
森先生の本の引用をさせていただくと、「精神分析に出会う前でのフェレンチの活動で特筆すべきものは、そのいずれもが社会的弱者の保護に関わる仕事である。若くして助手を勤めた病院が、低所得者や売春婦のための病院であったことが羅、売春婦の環境改善を主張し(26)、ウィーンやブタペストで繰り返し逮捕されていた服装倒錯の同性愛者、ローザKを正常であると精神鑑定して自由を保障させ(29)、同性愛の擁護団体のブタペスト支部の代表になった(32)。これらの活動は、社会が共有する常識(良識)が傷つけている被害者に対し、フェレンチが深い共感を持って常に支持者として関わっていたことを示している。晩年の臨床活動も、若い日の関心の延長にあったのである。」
どうだろうか。もう精神分析の中での彼の行く末は、若い頃からすでに占うことが出来ていたというところはないだろうか?フロイトとフェレンチは明らかに異なる。小此木先生がフロイト的態度と、フェレンチ的態度、と分けていた、アレだ。精神分析を学問として高める上で上から目線になり、観察者、操作する人としての役割を全うしたのがフロイトであり、フェレンチにはそれが出来なかった。彼は弱者の視点を持ち、トラウマを経験した人の話に真摯に向き合った。そのような臨床家にとって、トラウマの事実、解離という現象に深く考えさせられ、それを世に訴えていくということは自然な流れだった。しかし・・・・・。それがものすごい抵抗を受けるということも当然のことだ。トラウマについて論じることは、何しろ今の世界でも抵抗を呼ぶのだから。