2015年4月12日日曜日

精神分析と解離(6)

マッソンのこの本(the Assault on Truth, 1984)自身も決して評判がよくなく、この種の本にしては珍しく、日本語訳もないが、おおむねにおいて史実は間違っていないだろう。それによると1930年代に、フェレンチは、フロイトが捨てた考えに行き着いてしまった。それはヒステリーの多くが患者が体験した幼児期の性的トラウマに由来するというもの。それは当時の学会で恐る恐る発表して大反対にあったのである。その結果として「攻撃者との同一化」が起きる。これはあんなフロイトより先にフェレンチが言ったことだ、としている。それにしてもこのフェレンチの発表は、1932年になされ、フロイトはその場にいなかったが、際物扱いされ、結局バリントに翻訳されて国際精神分析学会誌に掲載されたのが、1949年であったという。(昨日掲載したこの論文の発表年「1933/1949」とはそういう意味がそうだ。そうだ、バリントも忘れていたぞ。
結局40ページにもわたるフェレンチに関する論述を読んでみると、フロイトはフェレンチの論文を発表させないことに非常な努力を払ったのだ。他方ではフロイトはフェレンチのいくつかの実験的な試み、たとえば患者にキスをする、させる、患者にひざまくらをして撫でる、などを本人や患者から知らされ、それをたしなめるような努力をしているが、決定的なのはフェレンチの論文に会った「患者たちは実際のトラウマを幼少時に負っている」という見解だったのだ。フロイトは「あなたは私が1890年代に犯していた過ちを今繰り返しているのだ。」と言ったのである。フェレンチは悪性貧血で亡くなる前にかなり精神状態が危うくなったが、周囲は最終的にはフェレンチはパラノイア(妄想症)になってしまったのであり、その論文もその妄想のせいだという風に片づけたのである。ウーン、何か解離の話から逸れて来たな。でも精神分析の歴史の話はそれなりに面白い。