2015年1月25日日曜日

恩師論 (3)

今日は一日会議の日。しかし外は少し春を思わせる陽気だった。


ところで書いているうちに、恩師とは何ぞや、ということが疑問に思えてきた。恩師はどうして「出会いのモーメント」を提供してくれるのだろうか?けっこう自分の都合ということもあるんじゃないか。いつかネットで拾って使おうと思っていたエピソードがある。
背中押す「できるよ」の魔法岡村孝子さんシンガー・ソングライター
読売新聞 20130701 0900
 人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。
 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。
 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。
 先生が体調を崩して2~3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。
 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。(聞き手・保井


これっていい話だと思っていたのである。しかしこれは先生の無茶振り、ということはないだろうか。もちろん筒井先生はいい先生だったのだろう。でも同時に誰かにピアノを弾いてほしかった。彼の都合でもあったのである。すると・・・やはり「出会う側」ファクターか。