2014年10月16日木曜日

脳科学と精神分析 (推敲) (5)

この気象モデルに見られる偶発性は、心の理論においては、環境からのさまざまな影響を受けつつ恒常性を保つことを迫られているあり方になぞらえることができる。心の理論では快感原則、つまり力動的な原理が働く心の外側にあり、いやおうなく私たちの心に影響を与えてくるいくつかの影響がある。フロイトはそれを一種のトラウマと考えた。フロイトはこれに第一次世界大戦により負傷した数多くの兵士を観察した結果として到達したのであろう。
あたかも地球環境は、内と外から、すなわち地殻より内部からのさまざまな影響や、太陽からの電磁波の影響を受けるのと同様、人の心も内部の欲動や本能や、外部、すなわち環境において出会う対象との影響を受けるのである。
このように考えると、フロイトが「快感原則の彼岸」を書くまでに描いていた心の理論は、ある意味では「内部で完結したひとつの装置」と言う印象を受ける。それ自身は快感原則という規則によりきわめて自立的に動く。その動因はリビドーであり、内的な欲動であった。ところが心はむしろさまざま影響を外界から受け、行き先の定まらない、いわば羅針盤を失った船のようなところがあるのである。

ハードウェアとしての脳をどう捉えるか?
「脳と心の臨床」の冒頭部分で、私は「ハードウェアの摂理」という概念を提出した。要するに脳は物体というハードウェアで出来ており、その細部がそれぞれ重要さを持っているということだ。これは、例えば心を霊魂のようなもの、形のないものと考える傾向とはまったく逆ということになる。人が霊魂やヒトダマの内部に構造を考えるだろうか? ヒトダマを解剖したらこんな内部構造になってました、みたいなことはありえない。
 福島第一原発で水素爆発が続けて起きたのは、発電機のバックアップが機能しなかったというハードウェア(のおそらく細部)の異常が原因だったように、心の機能も、その異常も脳の細部において生じている現象に依存する。「神は細部に宿る God exists in the detail」ではなくて、「心は(脳の)細部に依拠する mind depends on the detail (of the brain)」 ということだ。それがどうしたって? うーん、大したことがないといえばそうだ。でもいくつかの例を挙げれば、心の不思議をわかっていただけるかもしれない。でも医者をやっていると、例えば本の小さな血栓が脳のどこの部分に飛ぶかによって、その人のそれ以後の人生をいかに左右するかということをいやというほど知らされる。人間の脳の中央部に、一対の視床という部位がある。それがどれだけ膨大な機能をぎっしりつめた部位なのか、その一部の損傷がどのような影響を与えるのかを考えると、紛れもなく「心は細部に依拠する」と思えるのである。
心を構成する細部、というと人は脳のことを考えるかもしれない。脳といえばその最少単位は脳細胞だと考えるのが常識だろう。でもそれと同様に心を規定している細部がもう一つある。それは脳細胞の更に内部に小さく折りたたまれている遺伝子情報なのだ。遺伝子とは、いきなりナンダ、と言われるかも知れないが。ここ2~30年で私達心の専門家の意識を変えたものがある。それは遺伝子情報が私達の脳を含めた身体の設計図とばかりはいえないという事実だ。人間の遺伝子の解析を行って分かったこと。それは遺伝子が高々3万程度しかないということ。それで私たち複雑な人間のすべての形態や機能の設計図とはなりえないことである。
 それはもちろんある意味では当然のことだったといわざるを得ない。同じ遺伝子情報を持った蜂が、どうして働き蜂になったり女王蜂になったりするのか。あるいはもっと単純な例では、なぜ同じ遺伝子を持った私たち人間の細胞が、肝細胞になったり皮膚の細胞になったりするのか?遺伝子に関する研究が進むに連れて、遺伝子一つ一つに、その情報をいつどのように発現させるかを決める、きわめて複雑な仕組みが伴っているということだった。そして脳が生後数年間の間に目覚しい成長を遂げる中で、その遺伝子情報はさまざまな修飾を受けて発現していく。その間に、その遺伝子情報をオン、オフする仕組みは、実に多くの環境からの影響を受ける。その意味で脳を形成しているのは、遺伝子情報であり、生後の環境である。脳の細部、とはすなわち生後の環境、もう少し言えば愛着やトラウマの刻印を受けているのである。心はその産物といえるだろう。