2014年4月18日金曜日

フォサーギ先生の夢理論(2)


本格的に読むのは、The Organizing Function of dreaming (International Forum off Psychoanalysis, 2007, 16:213-221) という論文だ。日本語に訳すると、「夢を見ることの構成機能」となるな。
抄録では、 夢は情報の組織化と、情動の調節である、と言い切る。そしてそれは脳科学、認知科学、精神分析その他の知見を総合したときにそうなると言っとるんや。脳科学と精神分析を統合した結果いえることは、夢とは心の内容を整理し、気持ちを安定させる大事な意味があるちゅうわけや。絵?それってフロイトの言ったことと違うって?確かに。フロイトは夢は願望充足であり、欲動の発散であるといった。それとはずいぶん違うことになる。しかし後者がまったくないとも言っていないのだ。しかしそれには限定されない大事な機能がある、というわけや。デモなんか漠然としてよーわからんから、少し中身を読んでみよか。 まず先生は自分のモデルを組織化モデルだという。それは上に述べたとおりだが、その大事な役割は、情報処理なのだという。これは夢は記憶を形成するために重要な役割を果たすという最近の大脳生理学的な考え方にも通じるのであろう。そしてフロイト以降夢の中心的な理論の変遷について触れている。フロイトについてはええやろう。夢は願望充足であり、欲動の発散であるという考えだ。ユングはどうか?「ユングは意識的な心を訂正したり、代償したりする」の一行で終わらせている。これはユング派の人にとってはどうなんだろう。次にエーリッヒ・フロム、グリーンバーグ、パールマンたちは、問題解決的な意義を説いたという。フーン。フェアバーンはどうか。夢を見る人がはまり込んでいる精神内界的な状態を表すとともに、それを彫刻するための試みでもあるという。コフートはどうか。自己が断片化の危機にあるときに、それを修復する意味があるという。そして数人の脳生理学者たち(書くのが大変だ。Uliman, Breger,Hartmen, Kramer, Palombo, Jonathan Winsonら)の見解葉、夢は情報の統合であり、適応的な意味を持つ。ストロローとアトウッドは、心理的な構造の保護者である、という。

うーん、わかったようなわからないような。でもひとついえることは、夢は適応的と考える以外にないということだ。だっておよそすべての生物は眠るのだから。いや、待てよ、それと夢とは違うか。睡眠の一部がREM というわけだが、これほど生物の広範にわたってこの時期が存在するということは、何らかの適応的な意義があると考えるしかない。たとえば多くの生物が耳や鼻を備えているから、それらはきっと適応的だ、と考えるように。いや、単純化しすぎか。