第4章 災害トラウマを乗り越える:津波ごっこと癒し
私たちの心がトラウマを受ける機会として地震や津波などの災害がある。私たちはその種の自然災害によるトラウマとどのように向き合っているのだろうか?
津波ごっことアートセラピー
2011年の3月の東日本大震災から3年が経とうとしている。
当時産経ニュース(電子版、2011年5月28日)に次のような記事があった。
当時産経ニュース(電子版、2011年5月28日)に次のような記事があった。
「津波ごっこ」が流行 衝撃克服のため
東日本大震災の巨大津波に襲われた宮城県の沿岸地域の園児たちが、津波や地震の「ごっこ遊び」に興じている。「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。また、子供には不釣り合いな「支援物資」「仮設住宅」といった言葉も聞かれるという。「将来役立つ」「不謹慎だ」と評価は分かれそうだが、児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。(中略) 今回の大震災に限らず、平成5年の北海道南西沖地震で大きな津波被害を受けた奥尻島でも、津波ごっこが子供たちの間で流行したという。臨床心理士でもある藤森和美武蔵野大教授は「子供たちがレスキュー隊員役と遺体役に分かれる形の津波ごっこで、当時は物議を醸した」と振り返る。 藤森教授は(中略)「基本的にはアポロ11号の月面着陸という大きなインパクトを受けて月面ごっこがはやったのと同じ。災害を体験した子供たちは遊びを通して不安や怖さを表現し、心の中で克服しようとしている」と指摘する。 このため、被災地ではごっこ遊びを禁止せずに見守る対応がとられている。子供たちが不安や恐怖を克服すれば、時間とともにこの種の遊びは自然に消失していくとみられるからだ。(以下略)(石田征広)
心理学を専門にしている人間にとっては、ここに引用された藤森教授の指摘はとても常識的なものに感じられるであろう。外傷的な体験を遊びにおける繰り返しの中で克服していくというプロセスは、フロイトの「快楽原則の彼岸」(Freud, 1920) における子供の糸巻き遊びの例などとともにしばしば語られる。ただし私は常識については必ず疑うことにしているので、この妥当な説明にも、「本当だろうか?」と考えてみる。そして藤森説の大部分に賛成ではあっても、やはり一部に違和感を覚えるのである。そこでこのテーマをとっかかりにして災害とトラウマについて私が日頃思うところを少し書いてみたい。
この津波遊びについての記事は、私達が外傷について思い出し、それを表現するということの持つ意味を問うているが、同様の問題を提起した例として、次のような報道もあった。
「アートセラピー」かえって心の傷深くなる場合も (朝日新聞2011年6月10日)
心のケアのため、被災地の子どもに絵を描いてもらう「アートセラピー」について、日本心理臨床学会が9日、注意を呼びかける指針をまとめた。心の不安を絵で表現することは、必ずしも心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防にはつながらず、かえって傷を深くする場合もあるという。(中略)臨床心理士ら約2万3千人が所属する同学会が9日にまとめた「『心のケア』による二次被害防止ガイドライン」では「絵を描くことは、子ども自身が気づいていなかった怒りや悲しみが吹き出ることがある」と指摘。特に水彩絵の具のように、色が混ざってイメージしない色が出る画材を使う際には、意図せず、強い怒りや不安が出てしまう心配があるため、注意が必要とした。(中略)指針では、心の表現を促す活動は、専門家とともに行い、心のケアなど継続的にかかわることができる状況でのみ実施するよう求めた。PTSDに詳しい国立精神・神経医療研究センターの金吉晴・成人精神保健研究部長は「安心感のない場で心の傷を無防備に出すことは野外で外科手術をするようなもの。描いた絵の展示も控えるべきだ」と話している。(岡崎明子)
これも見逃せない記事である。同様の懸念は諸外国の研究でも明らかになっているという話も聞く。私はこの「アートセラピーに気をつけるべし」という判断はかなり臨床的に洗練されたものであると思う。それは私たちが心の傷を負った人に対して直感的に妥当だとと思える関わりが、実は必ずしもそうではないという知見を伝えているのである。
実は私はこのアートセラピーに対して警鐘をならす記事を見て「え、津波ペインティングって、なるほどいいアイデアなのに、いけないの?」と心の中で思ったのだ。そして同時に「いやいや、実はこれは新たなトラウマにもなったりするんだろう。最近の知見ではそうなっているに違いない。専門家としてそれを知らないのは恥ずべきことなのだろう」と判断したのだった。
このようにトラウマを負った人々にとって、何が治療的かという判断が、私たちの直感や常識と微妙に異なるということを、私たちトラウマ治療の専門家たちはかなり身にしみて体験した経験があった。それが1990年代からの「CISD」をめぐる論争である。
一見常識的な介入が外傷的になる?いわゆる「CISD」の問題
道で倒れて苦しんでいる人を見たら、私たちはすぐにでも駆けつけて抱きかかえ「大丈夫ですか?」と声をかけるのではないだろうか?テレビドラマなどでも見かけるこのようなシーンは、私たちの一見常識的な反応を示しているのだろう。しかしいきなり肩をゆすり、大きな声で話しかけるよりも、呼吸や脈を確認した後は、そこが安全な場所であることを確認して当面は安静を保ち、救助の到着を待つほうがいい場合もあろう。
心にトラウマを負った直後も、精神的な安静を保つことも必要であることが最近はわかってきている。しかし私たちが心の外傷についてまだ十分な知識を持たない頃は、出来るだけ早く手助けを行うべきという考えが支配的であった。いわゆるCISD (Critical Incident Stress Debriefing 緊急事態ストレスデブリーフィング) といわれる介入方法はそのような意図のもとに開発された。
CISDは災害が生じた際に72時間以内に、被災者達を集めてその体験を話し合う機会を提供するものだ。そこでどうやって災害が起きたのか、どのようにそれに対処したのか、何を感じたのかなどについて2,3時間かけて一種のブレインストーミングを行うことである。ここでデブリーフィングdebriefingとは、もともと軍隊で用いられる用語で、前線から戻った兵士が戦況を報告させることを指す。創始者ジェフ・ミッチェルJeffrey Mitchellミッチェルは、もともと米軍のパラメディックであったためにそれをCISDとして考案したのだ(Mitchell, 1983)。
このCISDは一時非常に広く行われた。米国では1995年のオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の際も用いられ、わが国でも阪神・淡路大震災をきっかけによく知られるようになった。災害の生々しい体験を直後に救援者や被災者に語らせるという手法は画期的であり、それが米国における最先端の治療法であるという意識もあり、我が国にも浸透したのである。
CISDはこうして災害の際の精神医学的な介入の主流となるはずであった。ところが1990年代後半から困惑するような研究結果が報告されるようになった。それはCISDがそれほど有効ではなく、後にPTSDを引き起こす可能性が増すという研究結果であった。そしてこれが当然物議をかもすことになったのである。
この事情に関しては日本トラウマティックストレス学会のホームページに優れた解説が載っている。それを拝借して説明するならば、医学的なエビデンス・データを発信しているThe Cochrane Libraryも数多くの研究論文や研究者との直接連絡から、CISDの有効性に関する検討を行っており、こちらでは「心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」とより厳しく結論づけ、「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」とまで言及しているという。(以上同学会のホームページより。)(http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html#top)
この事情に関しては日本トラウマティックストレス学会のホームページに優れた解説が載っている。それを拝借して説明するならば、医学的なエビデンス・データを発信しているThe Cochrane Libraryも数多くの研究論文や研究者との直接連絡から、CISDの有効性に関する検討を行っており、こちらでは「心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」とより厳しく結論づけ、「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」とまで言及しているという。(以上同学会のホームページより。)(http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html#top)
外傷を体験した人たちにいち早く行う介入。直感的には決して間違ってはいないように思えるCISDという治療手段も、それが逆効果となってしまう不思議。何が治療的に作用して、何がそうでないかはほんとうに難しい問題なのだ。
ちなみに私自身は、CISDを一概に害があるもの、と決め付けるのもやや早計であろうと思う。おそらくCISDが常識的に考えるほど効果を発揮しないということは間違いないであろうが、それにより救われ、PTSDの発症を免れたという人がいてもおかしくないはずだ。トラウマの直後に早期に介入することは、人によりさまざまな反応を引き起こすというのが相場ではないか。それで全体をならすと効果が見えなかったり、逆効果に働く人の影響が勝ってしまうというところなのであろう。
そもそも災害にあった人々は通常は救急隊員やパラメディックや医師たちに様々な質問を浴びせられることになるだろう。心配して駆けつけた家族に一部始終を尋ねられることもあるに違いない。同じ助かった仲間からは、運悪く命を落とした人たちの話を聞かされるかも知れない。デブリーフィングで生じる様々な侵入的な体験は、実は被害者には不可抗力的に生じている可能性がある。
CISDに関する調査結果は、もうひとつの問題を軽視しているように思える。それはそれに参加した人の主観的な体験はどうだったのか、ということである。もしそれに参加した人がおおむね助けになったものと感じたなら、それが数ヵ月後、一年後にPTSDを予防する結果になったか、増加させることになったかは、それはまた別の問題として扱うべきであろう。それはこんな簡単な例を考えればわかるかも知れない。ある鎮痛剤が虫歯の治癒を遅らせる可能性があるとしよう。虫歯の強い痛みを訴える患者さんがその鎮痛剤を用いることを医療者としては止めるべきであろうか? これは実に難しい判断である。このことは実は災害時のベンゾジアゼピン系の安定剤の使用に関しても言えることであった。デパスやソラナックスといったベンゾジアゼピン系の安定剤は、災害やトラウマにあった人の不安を和らげる上では著効を発揮する。しかしそれを災害直後に多く用いた人はその後のPTSDの症状をより多く体験するのではないか、という研究が提出されている。
さらにこの考えは津波ごっこにも、アートセラピーにも通じることである。人が災害に遭い、それを援助する試みの中で一見常識的なアプローチを行う。それに対する人々の反応はきわめて主観的で個人差がある。ある人はそれを侵入的と感じて外傷反応を悪化させ、別の人はそれをひとつの癒しや新たな洞察を得る機会とする。ある外傷がその人にとってどちらの反応を生じさせるかは、その外傷の種類などの客観的な情報からは容易には予想できないのである。とすると私たちに出来ることは、少なくとも常識的なかかわりがその人に害がある、あるいは治療的に働くという判断を早計にしないことであり、またあるかかわりを一定の集団に一律に行う際には、常に個々人に与える影響に注意を払うということでしかないのであろう。
トラウマと思うからトラウマになる??
これまでの話はどちらかと言えば当たり前のことだったかもしれない。それは常識的な働きかけが人にどう働くかについては、そこにかなり主観的なファクターが絡むということである。ここからさらに論じたいのは、外傷の持つもう一つの意味での主観性ということだ。つまり人は自分のうけた体験がトラウマ的であったと思うことで実際にトラウマになるという事態である。そしてこれは注意深く論じないとかなり誤解を招きやすい問題なのだ。
この件に関して最近興味深いニュースを読んだ。これもオンラインで読むことのできるものだ。最近Miller-McCune誌に掲載されたマイケル・スコット・ムーアMichael Scott Mooreの記事である(Moore, 2011)。
イラクやアフガンでの体験からPTSDになる割合が、米国の兵隊はイギリスのそれに比べて数倍多いという。英国の王立医学協会の発表によれば、米国ではそれが30%なのに比べてイギリスでは4%であるという。そしてそれは同等のレベルの戦闘体験を持ったグループ間で言えることだというのだ。もちろん英国の兵役が6カ月でアメリカが1年ということも影響しているかもしれない。しかしアメリカ社会におけるPTSDが英国に比べてかなり高いことも影響しているという。これについてイーサン・ワターズ Ethan Wattersという専門家は、PTSDは文化によっても作られ、しかも完全に当人にとってはリアルなものであるという。(抜粋、岡野訳)
これはどういうことだろうか。米国と英国の兵士のPTSDの発症率には大きな違いがあり、それはおそらく兵役の期間の違いだけではとても説明できないであろうということだ。そこで両国でPTSDに関する人々の意識の違いが浮かび上がってくる。米国では兵役を終えた人は、自分がPTSDではないかという関心を持ち、また他人もそのような目で見る。深刻な外傷体験を受けた人の10~15%にPTSDが発症することもある程度常識として浸透しているかも知れない。そもそもPTSDの概念の始まりは、ベトナムからの帰還兵に見られる一定の症状群について記載することから始まったことなのだ。PTSD概念も米国の人々には広く浸透している。他方の英国には、そのような事情がさほど見られないということが、両国のPTSDの発症率の著しい違いを生んでいるという説明だろう。
ここでの問題は「帰還兵にPTSDを見出すことが出来ない英国の医療者側の問題か、それとも英国の帰還兵の中に実際にPTSDの症状を示す人々が少ないか」ということである。ただしこれは次の言い方をしてもいいことになる。「帰還兵にPTSDを見出しすぎる米国の医療者側の問題か、それとも米国の帰還兵にPTSDの症状を示す人々が多いのか。」
一般にある疾患についての関心が高まると、その罹患率も上昇するという現象を私たちはたびたび経験してきた。少し前のBPD(ボーダーライン・パーソナリティ障害)がそうだし、最近の自閉症やアスペルガー症候群もそうだ。米国における社交不安障害についてもそれがいえるだろう。その場合、「実際に罹患率が増えているのか、それとも診断する側の目が肥えてきているのか」という議論はいつも出てくるが、結局「おそらく両方が貢献しているのであろう」という漠然とした答えしか出てきていないというのが私の理解である。なぜならこのいかにも単純な問に正確に答えを出すような研究には膨大な手間と費用がかかることが明らかであり、事実上実現不可能だからである。
ただここで一つ注意したいことがある。米国で帰還兵や医療側にPTSDに関する意識が高まっていることが、彼らの罹患率を押し上げているとしても、「PTSDは気のせいだ」ということにはならないということだ。ワターズの主張にもあるように、どのような経緯でPTSDを発症したとしても、それは依然としてPTSDであり、そのリアリティに変わりはない。
それにもし「PTSDは気のせいだ」ということであれば、「PTSDではないというのも気のせいだ」というロジックも同時に成立してしまう。つまり英国の帰還兵や医療者側は、彼らがPTSDであるという発想をあまり持たないことがPTSDの罹患率の低さに反映されているということになるが、それは「帰還兵の中には、実際にはPTSDなのに、そう思わないことでその症状が消えてしまっている(気のせいでPTSDでなくなっている)」ということになり、そのような理屈を信じる人は、「PTSDは気のせいだ」を信じる人よりも更に少なくなってしまうだろうからだ。何しろ一般の人々はPTSDを「賠償神経症」として棄却する方向にバイアスがかかっているのである。
しかしこの点はある複雑な事情を指し示していると言ってよい。PTSDは、そしておそらく数多くの精神疾患は、これもワターズの指摘にあるように、「文化によっても作られる」ということである。自分がPTSDを発症してもおかしくないという意識を与えられることが、その実際の発症に繋がる。あるいは自分の体験したことが外傷であるかも知れないという意識が外傷を生む・・・・。しかもそれは「気のせい」の外傷ではない、正真正銘の外傷、そこからPTSD症状が生じてもおかしくない外傷を生む可能性が増すのである。
人間の戦闘体験はおそらくその歴史のはじまりからあるのだろう。それでいて戦争を描いた記録の中に、PTSDの症状を示す人々の記録があまり残っていないとしたら、それはPTSDというものが最初から発想になかったから、という可能性がある。ではどうしてPTSD概念は以前は存在しなかったのだろうか?それはおそらく戦争による心のダメージを語ることは、為政者にとってきわめて不都合なことだったからだろう。同様の事情は女性における性被害にも及んでいる可能性がありはしないか?その社会での支配層(典型的な場合は多数は民族の成人男性)にとって不利なことはあまり語られず、名前を付けられない症状はそれとして認識されず、結局は存在しなかったということになるのだろう。
トラウマとしての意味づけと学習
繰り返すが「トラウマを受けたと思うからトラウマになる」という表現を誤解しないでいただきたい。これは「外傷は気のせいだ」という風に取られかねないアブない表現だ。しかしそうではない。「トラウマは気のせい」という時、主観的な体験としてのトラウマや種々の症状は実在しないこといなる。ところがトラウマを受けたと思うことでトラウマの犠牲者になった人の場合、主観的な体験も症状も現実のものである。この点を理解していただくのは本章の一番の目的である。
もう少し整理して述べるならば、トラウマには、意味づけが決定的なかたちで関与しているということだ。自分の持った体験において我が身が深刻な危機にさらされたという意味付けや認識がそのトラウマという体験を成立させている。時には自分がかつて体験したことが深刻な事態であったことを後から認識して、そこから発症するPTSDもある。
アメリカで同僚の医師からこんなケースについて聞いた事がある。ある女性が男性に脅されてお金を取られそうになり、すんでのところで逃げて助かったという体験を持った。しかし本人はそれがトラウマになったというほどではなかったのだが、やがて同じ男性が別の女性を殺して金品を奪ったという報道に接して愕然とした。そしてそれからフラッシュバックが起きるようになり、PTSDを発症したということである。つまり自分の持った体験が「自分は一歩間違えれば殺されかねなかったんだ」という意味を与えられたことで、深刻なトラウマとして成立したというわけである。
ただしこの意味づけには、どのような症状として表されるのが一般か、というより細部にわたった学習も含まれる。PTSDの診断基準に見られるように、トラウマの体験の後、その再体験としてのフラッシュバック、情緒的な鈍磨反応、失感覚、それとは対照的な過覚醒といった症状群は、一部の患者にはごく自然に生じても、それを報道で知ったり、身近にそれを呈している人を見ることで他の患者にもそれだけ起きやすくなるのであろう。これがワターズが「PTSDは文化によっても作られる」と言ったことである。しかしこれらの症状は何もないところから生まれたのではない。おそらく患者はPTSDを発症しなければ、抑うつ症状や不安症状などを呈していた可能性があるのである。
実は同様の文脈で誤解されていると私が考えているのが、「擬態うつ病」ないしは「新型うつ病」(本書の第 章を参照されたい)である。最近急増しているといわれる「新型うつ病」について論じる人の中には、それが偽うつ病、つまり「うつ病のフリ」に過ぎないという主張も見られる。うつ病の診断が広まることにより「自分もうつではないか?」と思う人が増え、結局は本当にうつでもない人まで、うつだと主張するようになる、というのが彼らの趣旨である。しかしどのような経緯であれ、よほど明らかな仮病を除いては、うつはうつであり、その苦痛は同じであるというのが私が強調したい点である。
それまでは自分をうつと考える機会がないためにうつという症状を持つに至らなかった人がうつ病になっているという立場である。最初から明確なうつ症状を示す人以外に、そのようなタイプのうつもあるということだろう。そのような人はうつ病としての症状を得なかった場合はおそらく上述のPTSDの場合と同様に、別の症状を呈する可能性があるのだ。でもうつを発症したならば、それはうつであり、通常のうつ病と同様の苦痛を呈するはずである。実際にうつの増加とともにわが国の自殺率も増加していることがそのことを示しているであろう。人は「うつ病のフリ」では人は死なないだろう。
それまでは自分をうつと考える機会がないためにうつという症状を持つに至らなかった人がうつ病になっているという立場である。最初から明確なうつ症状を示す人以外に、そのようなタイプのうつもあるということだろう。そのような人はうつ病としての症状を得なかった場合はおそらく上述のPTSDの場合と同様に、別の症状を呈する可能性があるのだ。でもうつを発症したならば、それはうつであり、通常のうつ病と同様の苦痛を呈するはずである。実際にうつの増加とともにわが国の自殺率も増加していることがそのことを示しているであろう。人は「うつ病のフリ」では人は死なないだろう。
まさに意味づけと学習から生まれる「文化結合症候群」
ついでにここで私になじみ深い解離性障害の話をしよう。いわゆる文化結合症候群についてである。文化結合症候群には様々な興味深い病理現象が多く数えられており、その大半は解離性の障害と考えられる。気が違ったように荒れ狂う「狂躁発作」としてのラター、アモックなどは東南アジア諸国に古くから存在が知られているが、これらのいずれにおいても、人はある種の精神的なショックの際に唐突に衝動的で粗暴なふるまいを起こし、後に健忘を残す。そしてこれが、外傷や症状が意味づけや学習により成立する例とみなすことが出来るのである。
その中で我が国に固有の文化結合症候群として知られるのがイムである。イムは北海道のアイヌ社会における風土病とされてきた。アイヌの従順な中年女性が「トッコニ」(マムシ)という語を耳にしたり、蛇の玩具を目にしたりすると、突然錯乱状態となって人に襲いかかってきたり、物を拾って誰彼かまわず投げつけたりする、あるいは他人の言葉をそのまま真似る(反響言語)などの症状も見られる。そして後にそのことを覚えていない。
明治初期に活躍した内村鑑三の息子である精神医学者内村祐之は、このイムを詳しく観察したことでも知られる。彼はイムの発作が防衛の役割を担うものとして理解し、次のように結論付けた。「イムの発作はその安全弁とも理解される…。ヒステリーの発作もイムの発作も、その本来の意味は、天然が弱者のために備えた防衛機転であり、保証機転であるのである。」(内村、1947)
この内村の臨床的な評価は、ヒステリーおよび解離性障害に対する当時の一般的な理解を代表しているものと言えるだろう。ここで注意すべきなのは、文化結合症候群には一定の症状のパターンがあり、人はそれを踏襲した形で症状を形成するということである。これはまさに文化のなせる技である。アイヌの女性はイムの症状を村で伝え聞くのだろう。そして「自分はトッコニという言葉を聞くと人に襲いかかるかも知れないのだ」と学習する。そして一部の女性はそれに見合う人格を形成していき、ある日タブーの言葉を聞いて発作を起こす。しかしそれは彼女が作為的に行なったわけではない。症状の起き方がいつの間にか学習されていたというわけである。
再び「津波ごっこ」に戻って
最後に津波ごっこに話をもどそう。
・・・「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。・・・児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。
子供たちが津波ごっこに興じるのはなぜか? おそらく本当のところは誰にも分からないのではないだろう。どうして人は鬼ごっこをするのか? どうしてお化け屋敷が夏は満員御礼になり、芸人のコワーい話がウケるのか? どうしてミステリーには殺人がつきものなのか? これらの問いに少し近いのではないかと思う。鬼ごっこは人間が邪悪なもの、精神分析的には悪い内的対象との関係を克服するために行う、とでもいうのかもしれない。でも真相はわからない。多分人間は適度のスリルを好むのであろう。人はノルアドレナリンの分泌(驚愕、興奮)と共にドーパミンの放出(快楽)が伴うような体験にスリルを感じ、求めるものである。津波ごっこにもそのような意味があるのだろう。
津波ごっこは被災した子どもにとって害になるのか、それとも見守るべきなのか? あまりにも多くのファクターが絡み合った答えの出ない問題だ。ただそれが「ごっこ遊び」として、友達と楽しんでやるものという意味づけにより、本来は侵入的な体験にもドーパミンの放出がともなった、スリルと癒しの体験となるかもしれない。「津波ごっこは見守るべし」という見解は、そうすることで参加する多くの子どもにとってさらに津波体験の克服に繋がるようなものとなるだろう。しかし同時に問題も起きる。大人からも津波ごっこにゴーサインが出されることで、それを耐えがたいと思う子どもは余計つらさを体験しかねないのだ。
アートセラピーはその裏返しというだけで同じ議論がなりたつ。「津波ペインティングはよくない」という専門家のコメントは、おそらく相当数の子どもを救うと同時に、それにより津波による外傷を克服できたかも知れない子どもにとってはその機会を奪う可能性がある。そして「津波ペインティングはよくない」というメッセージ自体が、それにマイナスの意味づけを与えることで、治療的な価値がさらに奪われる可能性もあるのだ。同様のことはCISDについてもしかりである。
被災にともなう外傷の問題はかくも難しく、一般人の常識も専門家の見識も裏切る結果となりかねない。私たちはその事実を受け入れるしかないのだろう。
参考文献)
Freud, S. (1920) Beyond the Pleasure Principle (The
Standard Edition 18) S・フロイト 「快楽原則の彼岸」in「自我論集」 ちくま学芸文庫 2007年
Mitchell, J.T. (1983) When disaster strikes…the critical
incident stress debriefing process. Journal of Emergency Medical Services, 8(1):
36-39.
Moore, M.S. (2011) PTSD Affecting More U.S. Soldiers Than British. Why do
so many American and so few British soldiers suffer from post-traumatic stress? Miller
McCune. July-August. 2011
内村祐之 (1947) 精神医学者の滴想. 同盟出版社.