2012年7月3日火曜日

続・脳科学と心の臨床 (37)

心理士への教訓)

ここで一回入れておこう。
教訓どころか、私はこの章を書くことで心理士の心に悪い影響を与えているのかもしれない。夢の素材はランダムだなどと言っているからだ。来談者の夢の報告を聞いてその本質的な意味を考えることにエネルギーを注いでいる臨床家にとっては全くもって失礼な話である。
ただし私は夢というよりは心の在り方一般についてのランダム性を考えている。来談者の何気ない一言、ふるまいの一つ一つに意味を見出そうという立場を私は取らない。(もちろんそれが透けて見える場合には話は別である。そのような一言、ふるまいだってある。)
これまでも述べたように、意識的な活動はことごとく脳がさいころを転がしているというところがある。意味を与えるのは言葉が出てきた後、行動を起こした後というニュアンスがあるのだ。意識がその言葉や行動を、自分が自発的に行ったものと錯覚して、その理由づけ、後付けをする。意味を考えるのは、その後付けとしてのそれということになり、あまり重要なことではない。
ただしここで脳のさいころの転がし方にはやはりパターンとか癖があることも無視できない。おそらく治療の一つの目標は、それを来談者と一緒に探るということかもしれない。そのためには来談者もその行動が自分のもの、という感覚をいったん捨てて、他人事のように考えるとよい。脳の観察を治療者と行うのだ。
例を出そう。小沢さんがまた「やって」しまった。20064月、今から6年前に民主党の代表となった時、彼は「私自身が変わらなくてはならない」といったのを思い出す。私は「そんなこと可能なのだろうか?」といぶかった。70の男性がそれまでの思考、行動パターンを根本的に変えることなどできるのだろうか?そして今度の離党騒ぎで彼は案の定、全然「変わって」いないことを示したわけだ。
おそらく小沢さん自身に自分で何が起きているのかはわからない。彼なりに一生懸命考えてふるまっているのだろう。しかし脳の方は反省していない。彼の意識的な部分は、彼の無意識、すなわち脳を変えることはない。そして彼の脳は明らかに一つの、おそらくは非常に不適応的なパターンを繰り返しているのである。
昨今のブームともいえる認知行動療法。決してバカにならない。というのもそれは脳の在り方のある本質的な部分に働きかけるというところがある。心理士は来談者の言葉の裏読みをすることなく淡々と話を聞くべし。そして心の中に浮かんでくる素朴な疑問や明確にしたい部分を返していく。そしてそこにおぼろげに見えてくる脳のある種の癖について来談者と一緒になって考えていくのである。