2012年7月4日水曜日

続・脳科学と心の臨床(38)



手の込んだ実験を行うことなく臨床的に確かめられる驚くべき事実、それは次のような現象が人の心に生じうるということである。
ある人Aさんと話し始めると、それとは異なる人格Bさんが、Aさんに入れ替わって出現するという現象。そしてしばしばBさんはAさんを通してその体験を見ていると証言するのである。
私たちは不思議な現象を目にすることが多い。テレビでもマジックの実演を目にすることがたびたびある。しかし私たちは通常、「こんなことはありえない!」という体験をすぐに忘れてしまう。ありえないこと、何かの間違いとして頭の中で処理してしまうことで毎日が生きやすくなるからだ。上に挙げたような現象を目にしても、多くの臨床家はそれを深く考えなかったり、追求しなかったりする。そしてここから臨床家は二種類に分かれることになる。人格交代という現象を正面から考える人々と、そうしない人々。
さてこの種の人格交代現象が実際に起きることを体験している私はそこから思考を開始するしかないが、これは私たちが持っている心の常識を根本的に変える可能性がある。このような現象を起こしうるポテンシャルを持つものとして脳を捉えなおさざるを得なくなるのだ。
ただしこの解離現象をとらえる道筋は、これまでの本書の議論の流れの上に沿っている。これまで意図的な行動、創造活動、夢、という順番で論じてきたのは、結局脳の自律的な活動という問題である。私たちが能動的に活動を行っているという感覚が実は錯覚である、という議論なのだ。とするとその先にあるのが、私たちの中に自律的な他者がいる、ということになる。私たちはその他者の思考や行動に完全に受身的にならざるを得ない。しかもそれが自分の脳の中で生じているのである。