2012年6月30日土曜日

続・脳科学と心の臨床 (34)


  創造的な活動が、脳のどこの部分でどのように生じるかはわからない。私の知る限りそれに関する定説などもない。ここからは私の想像である。少しわかりやすい例として、作曲を考えよう。ある長さのメロディーラインが浮かぶとき、それはこれまで記憶したことのあるメロディーの断片の繋ぎ合わせだったり、その変形だったりする。あるいはあるメロディーAの前半とメロディーBの後半の接合されたものかもしれない。その中である種の美的な価値を持った、つまりはいいメロディーがそれ自身の持つ刺激のために意識野に浮かんでくる。人が聞いて素敵だというメロディーは、それ自身が私たちの快感中枢や扁桃核を刺激するのであろう。そしてメロディーラインの切断や接合は、それらの記憶の断片が存在すると考えられる大脳皮質の聴覚野で自然に、「勝手に」生じている可能性がある。
ところでこのプロセスはタンパク質の合成のプロセスに似ているといってもいい。そもそも生命は酵素を必要とし、酵素はタンパク質である。ではそのタンパク質は自然の中から、自然そのもののはたらきによって生まれてきた、という仮設を打ち出したのが、オパーリンという旧ソ連の科学者である。ここからはwikipedia の力を借りなくてはならない。
 
オパーリンの説を推し進めたのが、1953年、シカゴ大学ハロルド・ユーリーの研究室に属していたスタンリー・ミラーの行なった実験で、「ユーリー-ミラーの実験」として知られている。難しい話は省略するが、原始地球の大気組成を作り出し、そこに放電を起こし、アミノ酸が一週間後にアミノ酸が生じていることを示したという。
もちろん脳の中で放電が起きたり、雷が落ちたりということは起きていないが、おそらく無数の知覚情報、思考内容の離散集合が自然に起きている可能性がある。これは仮説というよりは、こう考えないと説明できないものがあまりにも多いからである。その典型が、夢の過程である。