2012年6月30日土曜日

続・脳科学と心の臨床 (33)

創造的な過程
えーっと、たしか、「1.能動的な体験 2.創造的な過程 3.夢 4.この章のテーマである、解離体験である。」と書いたな。1、は終わったから、今度は「創造的な過程」、である。
心の動きは結局ステージ上で起きていることになぞらえることができる。そしてそこで起きていることを、私たちは自分で作り上げたものと錯覚する、という文脈だった。そしてそのステージ上で起きることを決定しているのは脳だ、というわけである。前野先生の「受動意識仮説」もそのような仮説に基づくものであった。そしてこれから議論は能動的な体験→創造的な過程→夢→解離体験、と進んでいくのであるが、この順番は実は自分で作り上げたという実感が少しずつ減っていく順番でもある。意識はステージ上に繰り広げられるものに対して、受身的になっていくのだ。すでに能動的な活動でさえ、「自分が意識的に、主体的にやっている」という感覚は、一種の錯覚だと述べた。創造的な過程は、それが一段階進む。
このような例については、すでに531日に、一つ挙げている。読者のためにその時の記載を少し引用しよう。(字数を稼ごうとしている。明らかな手抜きだ。)
 例えばモーツァルトは、一人でいる時に曲が浮かんでくるということがよくあったが、それをコントロールすることは難しかったという。しかし曲は出てくるときは自然に浮かんできて勝手に自らを構成していくという。そして楽曲がほぼ出来上がった状態でかばんに入っているのを次々と取り出して楽譜に書き写すだけ、というような体験をしたという。 Life Of Mozart (audiobook), by Edward Holmes.) そう、創造的な体験の多くは脳が勝手にそれを行っていて、意識は受け身的にそれを受け取るという感じなのだ。
本当はいつか読んだことのある、作家村上春樹の創作の過程についての話を引用したかったのだが、どこで読んだかわからない。読者の人で知っている人は教えてください。確かこんな話だった。
「私にとっての創作は、頭の中の登場人物が勝手に動くのを見ているということです。それを私は見て、小説にしていくのです。そうするためには例えば一人スペインのどこかの宿屋に泊まり、どこからも連絡が来ないようにして小説を仕上げるのです。」
まあ、正確な引用は後ですることにして、私が言いたいのは次のようなことだ。創作活動のプロセスを見ればわかる通り、私たちが創っているはずの作品の主要部分は、実は脳によって自動的に作られているのである。もちろんそこに意識の関与がまったくないというわけではないからだ。村上春樹だって、頭の中の登場人物がまったく勝手に動くに任せているわけではないだろう。その流れを整理し、順序を整えて、人に受け入れやすくしているのは意識の働きであろう。ただそのもとになる素材はかなり無意識的に作られるのだ。