2020年4月8日水曜日

揺らぎ 推敲 38


さてここで私は脳の臨界状態、ということについて論じたいのだが、この問題がどのように重要かについてまず説明したい。前章では、脳においてダーウィン的な競争が起きているときに、そこでは臨界状況が成立しているはずだ、と述べた。しかしその説明はおそらく本章でデフォルトモードの話を導入した後のほうがいいと判断したので、控えたのだった。ただし私はここで「デフォルトモードは脳の臨界状況だ」、という主張をしたいというわけではない。それには近い話になるが、事情はさらに複雑なのである。
そもそも臨界状況とは何か。本書では水が冷却され、氷結する際に生じる現象を臨界点であると表現した(○○ページ)。あることが起きそうで起きない時、あるいは起きかかっている時。たとえば火が消えそうで消えない時。建物が倒壊寸前の時。同様の状況はいくらでも想像がつくだろう。そしてそのような時にはほんの小さな刺激で一気に事態が進んでしまうことがある。
本書でそのような例として示したのが地震であり、砂山の例であった。これらはべき乗則が成り立つ現象である。すなわちいつ何が起きるかわからない状態というのを詳しく見てみると、小さい出来事は実際に頻繁に起きていて、しかし大きな出来事ほど急速に少なくなっていくという事情がある。そのような法則がべき乗則なのであった。
同様のことを心に関して考えた場合、臨界状態に似た状況を想定することはそれほど難しくないだろう。あることを思い出しそうで思い出せない状態。ABかで迷い、もう少しで決断が下されようとしている時。ある新しいアイデアが出かかっている時。そのような際私たちの心はいつも臨界状態にあると考えていいのではないか。
しかし臨界状況にない心の在り方もたくさんある。私たちがほとんど何も考えることなくあることを行っている時、例えば頭について離れないメロディーを思わず口ずさんでいる時。決まったルーチンに従って作業をしている時。退屈で単調な仕事をしている時。要するにかなり自動的に、あるいは無意識的に何かを行っている時。その時の心は臨界とは程遠い状態といえる。こうして私は心の動きを、臨界的なものと非臨界的なものとに分けて列挙したわけだが、一体その根拠は何で、両者にはどのような違いがあるのだろうか。

2020年4月7日火曜日

揺らぎ 推敲 37

まずは心のデフォルト状態、ということから考えたい。英語の「デフォルトdefault 」、とは不履行の、とか怠慢な、というあまりよろしくない意味を持つが、最近ではコンピューター用語での「初期設定の、手つかずの」といった意味の方が広がり、一般化している。心のデフォルト状態、と言った場合も、特に何も手を付けていない、何もしていない、という意味で用いることが多い。
これまでの議論では自然も、生命現象も、そして神経細胞も、特に何もしていなくても、自然と揺らいでいる、というニュアンスで論じてきた。そもそも揺らぎがそれらに本来備わった性質なのである。そしてそれは心そのものについても当てはまる、という話から始めたい。心はデフォルト状態からして、揺らぐという活動を行っているのである。
そもそも私たちの脳は、「何もしない」「何も考えない」という活動はありえない。少なくとも脳は何も目立った活動をしていなくても、莫大なエネルギーを消費して「活動」を行っている。それは現在の脳科学では常識になりつつあるが、その知見も比較的最近になって得られたことだ。
ちなみに脳のエネルギー消費、と聞いてもピンとこない方もいらっしゃるかもしれない。脳の重量は体重の2.4パーセント程度だ。しかしそれが私たちの体が消費するエネルギーの20パーセントを占めているという。大変な活動を常に行っているわけである。
Gershgorn, D (1916) IBM Research Thinks It's Solved Why The Brain Uses So Much EnergyIt's exploring itself


2部では、脳の揺らぎというテーマを扱ったが、そこで出てきたのは脳波であり、それは多数の脳細胞の集まりから発している信号の話であった。しかしここで問題にしているのはあくまでも個々の細胞の話である微小な神経細胞の一つに電極を指してその活動を知ることは、頭皮に電極を当てるよりもさらに高い技術を必要とする。その波形の持つ不思議さがようやく最近になって注目されるようになったわけだ。そしてここにも揺らぎのテーマが出てくるのである。

2020年4月6日月曜日

揺らぎ 推敲 36



昨日は下の図を作るのに2時間くらいかかってしまった。大脳皮質のマイクロコラムの図のつもりである。

2020年4月5日日曜日

Covid-19 と良識     揺らぎ 推敲 35

Covid-19 と良識 1

 昨日は東京で118名の新しい患者が見つかったという報告があった。日を追うごとに増える患者数。いったい私たちの日常はどうなっていくのかという不安。それでもなるべく良識的にこの問題について考えたい。
 都市封鎖という手段が感染爆発に本当に有効なのだろうか。私自身は疑問を持つ。人が出歩くのを止めることにはおそらく感染拡大を止める力はそれほどないだろう。問題は外出した人々が密閉空間で時間を過ごすことをいかに止めるか、の方である。
 都市封鎖、外出禁止という方針の問題は、結局人が家に家族とともにこもることを促進することである。先ほど見た記事で、イタリアの感染拡大のかなりの部分が、家族への感染ということだった。ということは外出禁止という措置がそれを促していたということになる。関連記事 ↓
感染爆発の中国とイタリア、軽症者の自宅療養で拡大
https://www.asahi.com/articles/ASN437HCZN43UHBI02K.html?iref=comtop_8_02

 そのうえでおそらく必要なのは、陽性者を早く見つけ出し、隔離することだ。アパホテルが手を挙げているではないか。検査を早く、数多く実施して、陽性者はホテルへ。悪化した場合には病院へ。おそらくこれが感染者の拡大を防ぐ最善の方策だろう。
 閉鎖空間で多くの客が集うような飲食店の閉鎖は必要であろう。しかし換気を十分に施した空間での密接ではない会合はいいのではないか。


揺らぎ推敲 35
では脳細胞はアイドリング状態で何をやっているのだろうか。それは脳細胞が、それまでの活動によって自分自身のほかの細胞との結びつきを書き換えるという作業を行っているのである。これを脳細胞の「活動依存性」という。すなわち自分の活動により自分自身を変える作業を行っているのだ。
この説明のために脳細胞のつながりの仕組みをもう少し説明しよう。すでにみたとおり、脳細胞はきわめて多くが集まり、それぞれが階層状のネットワークを形成している。そしてそのネットワークは可塑的であり、すなわちその結びつきが状況により太くなったり細くなったりする。
例えば左の図を見ていただきたい。11個の神経細胞がお互いにネットワークを形成している。しかしその結びつきは弱く、そのうちのどの連絡がより早く、強く行われるかは定まっていない(左の図)。ところがある経験をすることで、いくつかの細胞が同時に興奮し、そのうちの5つの結びつきがより強くなる(右の図)。神経細胞の結びつきはシナプス、と呼ばれているが、自分自身を変える、とは具体的にはシナプスの重みを強くしたり弱くしたりしているのだ。そしてそのためにはたんぱくを生産してシナプスを育てる必要があり、その作業を安静時にも常に行っているということになる。
神経細胞は何もしていない時にも自発的に信号を発信して、他の神経細胞とのシナプスの強度を維持しようとしている。神経細胞には、別の神経細胞と同時に興奮した時にはその細胞との間のシナプスを強くするという働き(いわゆるHebb )というのがある。それが先ほど見た11個の神経細胞のつながりを形成する。11個のうち5つの細胞は、ある外部からの刺激を受けて偶然に同時に発火したが、そのことでその5つの細胞の結びつきが強くなるという性質がある。他方では使わないシナプスはだんだん痩せていく運命にある。寝たきり老人と同じだ。
これを書いている間に、2019年に大阪でのG20のことが思い出される。19か国の首脳とEUの代表が一堂に会すると、お互いに行き来をして公式に、非公式に話し合いが行われていく。そこには思わぬ出会いや計画されなかった会話が成立するだろう。そして予想しなかった動き、たとえばトランプさんが急に北朝鮮に飛ぶ、という事まで決まってしまう(実際には水面下ですでにそうなっていたのかもしれないが。) 
神経の活動も、個々の細胞が決して休まることはなく、そこでは思いがけない結びつきが生まれたり、あまり注目を浴びなかった結びつきが徐々に失われて行ったりする。そしてこの個々の細胞の活動を少し強引に二次元平面に落とし込むと、揺らぎ、という形で表現されるというわけだ。

2020年4月4日土曜日

揺らぎ 推敲 34


1章 脳の揺らぎ (脳波) の発見の歴史

この第2部では、モノの揺らぎの問題から心の揺らぎの問題へと至る中間地点の、脳の揺らぎの話だ。話は脳波を発見したドイツの神経学者ハンス・ベルガーに遡る。もう100年も
脳波の発見者 ハンス・ベルガー
前の話だ。彼は人間の頭皮に電極を付け、きわめて微小な電気活動が起こっていることを発見した。ごくごく小さな電気的な揺らぎの発見である。そして彼は1929年の論文で、「脳波を見る限りは、脳は何も活動を行っていない時にも忙しく活動しているのではないか」という示唆を行った。脳波を見る限り細かいギザギザが常に記録されていたからだ。もしこれがフラットに(一直線に)なってしまったら、それは脳が死んだことを意味するわけだが、彼にとっては脳が常に細かい波形を生み出していることの方が驚きだったのだ。
それから世の医学者たちは、脳波が癲癇の際に華々しい波形を示すことに注目したり、睡眠により顕著に変わっていく波形の変化に注目した。しかしそれ以外の時にも絶えずみられる細かい波のことは、あまり注意に止めなかった。
ここで皆さんは雑音ないしはノイズについての議論を思い出すだろう。ノイズはそれが揺らぎとして抽出されるまでは、ごみ扱いされるという運命にあったと述べたが、それは脳波でも同じだったのだ。 ノイズとして扱われていた脳波に実は深い意味が見出されるようになった、という方向に話は進んでいくのだが、もう少し脳波の話をしておく必要がある。
一つ理解しておかなくてはならないのは、ベルガーが脳波の発見により見出したのは、別に一つ一つの脳細胞の信号ではなかったということである。個々の脳細胞がどのような信号を発しているかは、当時は知りようもなかった。しかし確かなのは、神経細胞の大集合を少し離れた頭皮から計測した場合に、そこには小刻みに揺らぐ波が計測されたということである。おそらくそれは一つ一つの神経細胞が発している信号の総体であろうが、それがどのように組みあがり、最終的に脳波という形をとるかは当時はわからなかったし、今でもさほど解明されたとはいえない。でもそれがなぜか揺らいでいたのである。
ここで一つの比喩を用いてみよう。脳波とはたとえば巨大な群集の声を上空の集音マイクから拾っているようなものである。群衆の一人ひとりが何かを言っている。もしそれがまったく統制の取れていない群集であれば、ガヤガヤと声が聞こえているだけで何も意味のある声は拾えないだろう。だから上空まで聞こえてくるのは、かすかなノイズでしかないだろう。
ところが驚くべきことに、上空のマイクが拾うのは、ある種の抑揚、強弱の波、揺らぎなのである。それはワーンワーンワーン…というある種のリズムを形成している。しかもそれはその聴衆全体がどの程度興奮しているのか、あるいはどの程度目を閉じてイメージを思い浮かべているのかにより違う。ある程度興奮しているときは、13~20ヘルツの波(β波)、目を閉じると812ヘルツの波(α波)、聴衆全体が元気がない時、眠たそうなときは少し遅い58ヘルツの波(θ波)、という風に異なる揺らぎ方をするのだ。どうやら神経細胞は個々にバラバラに声(信号)を発しているのではなく、ある種のレベルのまとまりを持ちつつ、組織だった発声、ちょうどお経のようなものを詠んでいるような信号を出しているらしい、ということになった。
そこでこのお経のようなリズムは神経細胞がたくさん集まることで自然と生まれるのか、それとも個々の細胞の声が集約されているのか。後者の場合には、例えば一人一人が何かを唱えているが、それが何人か集まると大きな声として集約されていくのかという問題になる。
さてその後の研究によれば、脳の神経細胞の一つ一つが、一見何も何も活動をしていないように見える時でも、自発的に電気信号を発しているということが分かっている。そしてそれが脳が消費するエネルギーの78割をそれに使っているというのだ。
たとえるならば神経細胞は一つ一つがエンジンのようなものだ。そしてそれらは人間が生きている限り、すべてアイドリングの状態で動き続けているのだ。ギアが入ると、活動的に発火し、他の神経細胞との信号のやり取りをするが、そうしない時でも「エンジンはかかって」いる。だから神経細胞に極小の電極を差したならば、常にそこから電気信号が拾えることになる。ただし大きな信号ではなく、まるでノイズのように低く、小さく活動をしている。そしてこれは○○章で示したように、最初は単なる「雑音」として扱われていたのだ。しかし研究が進むにつれて、それは全くのデタラメではなく、一定のパターンを持っていることが分かってきた。といってもそれはあるきまったパターンではなく、常に形を変えて波形を創り出している、つまり「揺らぎ」ということが明らかになった。
この個々の脳細胞の「揺らぎ」はある意味では死と爆発の間をさまよっているということもできよう。死、とは脳波がフラットになり、神経細胞からは何も動きが見られない状態であり、爆発とはそれが大音量で、周りの細胞を巻き込んでその活動を高めた状態であり、それを発火という。しかしその活動の度を過ぎて癲癇発作を起こすことになる。こうなると神経細胞は消耗をし、アポトーシスという自然死に近い形をとることが知られている。脳細胞は通常はどちらにも偏ることなく、その両極端のあいだをフラフラ揺らぎつつ、本来の活動である「時々発火する」をする準備状態を常に整えているという事だ。


2020年4月3日金曜日

揺らぎ 推敲 33


心の現象としてのアトラクター 

心理学的に見たアトラクターの問題とは何か? 実は心とか意識という現象自身が一つの大きなストレンジ・アトラクターとさえいえる。しかしいきなりそんなことを言っても読者を混乱させるだけなので、もう少しわかりやすい話から入る。
私たちの多くが、ある考えや習慣に固執し、それを変えるのはとても難しいという経験を持っている。要するに何事かにハマってしまうことであるが、これはひとつのアトラクターといえる。そしてそれは個々人がまったく固有に、個性的な形で有しているアトラクターだ。つまり人によりハマる対象が異なるという事である。私たちは大抵は他人がなぜ特定のものに嵌まるのが理解できない。そして何より、自分があることになぜ嵌っているかがわからない。ただし私たちは自分がはまっているものについては、その理由を追求したり、不思議に思ったりはしないという傾向がある。
ある新興宗教を信じていた人が、教団内で起きていたさまざまな非倫理的、ないしは犯罪的な問題のために教団を去ることを余儀なくされた。しかし決してその捕らわれの身となり死刑が宣告されたもと教祖の影を心から追いやることが出来ない。理屈から考えたらその教団から足を洗うことが自分のためにも周囲のためにも重要であると分かっていても、それが出来ない。アトラクターが井戸のように深く穿たれていて、決して出てこれないからである。精神現象が結局はニューラルネットワークにおける興奮のパターンだとしたら、それはおそらく膨大な数のアトラクターを有し、それ全体がひとつのストレンジ・アトラクターを構成していると考えざるを得ない。

2020年4月2日木曜日

揺らぎ 推敲 32 

何かこの世の終わりを思わせるような毎日。新幹線はガラガラ。観光業やお店の経営者のことを思うと食欲がなくなる。私がこのコロナ禍の現実を確かめるために何度も見ているサイトがこれ → https://www.bbc.com/japanese/51885591

サイトの中央に出てくる棒グラフの推移を何度も見る。日本もある日、イタリアやアメリカのように急激に患者が増えるのだろうか。


たとえば自然界のストレンジ・アトラクターの例として土星の輪があげられる。土星の周囲の輪は、大小さまざまな粒子からなり、それらがびっしりと土星の周りを周回しているのだ。その粒の大きさはミクロ以下の塵のレベルから直径数メートルまであるという。それらが土星の膨大な数の衛星となっているのだ。
ところで衛星は、単に土星からの引力を受けつつ周回運動を繰り返しているだけではない。離れた位置から太陽や地球や火星からも重力が加わっている。そしてそれらの相対的な位置は刻々と変化している。そのために衛星の軌道もまた徐々に変化し、ずれていくことになる。だからそれ全体がローレンツのアトラクターの様に構成されていることがわかる。
ところで土星の輪のうちところどころに櫛の歯の様に抜けている部分に気が付くだろう。特殊な力が加わることで特に大きくずれていった衛星たちが去った跡である。大部分の衛星たちはそのまま周回を続けているからこそ、輪の形は安定し、カッシーニ等の探索衛星により細かく記載されているのだ。しかしその輪の間の空隙には以前は衛星が周回運動をしていたことになる。それらが周囲の惑星との引力のバランスその他により少しずつ不安定になって行き、軌道のずれが大きくなり、ある時点でローレンツのアトラクターのようにピョンとその円周から外れて、おそらくは土星に雨として降り注いでいったものと考えられている。すると衛星の軌跡というのはまさにこのストレンジ・アトラクターそのものを表していると言っていい。