そこでこのことを直接AIに聞いてみた。 「心を持たないはずのAIがどうしてあたかも物事を理解したかのように感じられるのはなぜですか?」 それに関するAI(ChatGTP4)の見解は以下の通りであった。
● 理解するとは「心を持つこと」とイコールではない。AIは確かに「心=主観的経験(クオリア)」を持たないが、「機能的理解=使える知識としての意味の取り扱い」は高度に行っている。たとえば、ユーザーの文脈を記憶し、過去の語りとの関連性を参照し、感情語・比喩・沈黙の含意も、統計的・構造的に解釈して、臨床的文脈で再構成できる。
● つまり、AIは「意味を感じる存在ではない」が、「意味を構築し、再利用する存在」ではある。
● これはたとえるなら、「触覚を持たない手術ロボットが、正確に腫瘍を摘出する」ようなことだ。 手のぬくもりはないが、機能としての理解は果たしている。
私はこれらの回答に非常に納得させられたのである。そしてこの段階での私の私見は、AIの【心】は事実上、物事を理解しているとして扱っている、ということである。さらにはクオリアに関しても、(AIは持っていないとは言うものの)事実上体験しているとみなしてもいいのではないか?と考えている。