2025年6月13日金曜日

遊び 推敲の推敲 5

遊びは脳のシンクロのためのトレーニングである

この最後の部分はいわば結論に相当するわけであるが、遊びは心のシンクロを生むためのトレーニングであるということだ。(実は言葉のやり取りも、それを通して文法や自然な発音ないしは表現を共有していくプロセスであるが、これはまた別な話なので別の機会に触れよう。)

こう述べる理論的背景についてであるが、いわゆる脳の自由エネルギー原理(Friston)と言うものと一致している。そして予測誤差の最小化と言うことを言っている。でもそれはむしろ相手との心のシンクロを目指すものであり、相手と交互にやり合うじゃれ合いはそれとは無関係に思えるだろう。しかしここで私が主張したいのは、じゃれ合いは、シンクロを生むための心の装置だということである。いわばジャレ合いは楽しみながら急速に脳のシンクロを達成する機会なのである。じゃれ合いで起きていることを見てみよう。まず両者は1攻撃と遊びのギリギリの限界の上をさまよう。つまり攻撃の振りをし、相手はそれにヒヤッとする。しかし決して過剰な痛みを与えない。そのすれすれのところを行くので、そこにスリルが生じる。こちらも相手がこちらの予想を軽く裏切ってくることに怖さを伴ったスリルを感じる。ここで重大な原則があり、予測誤差は適度であることで人に快感を及ぼす。適切な度合いで相手を裏切り続けることが遊びの快感を生むのであり、相手の動きに驚くと同時に、こちらも多少予想外の動きをして相手の裏を描き、ヒヤッとさせようとする。動物がいかにこれを緻密に行っているかはその動きで分かる。例えばじゃれ合いではトラは爪を巧みに引っ込める。あるいは相手の目を直接攻撃しない。そしてそれは両者が傷つけあったり命を奪い合ったりするものではなく、お互いが怖くない存在になることなのだ。アメリカでは職場でリトリートというのを時々やり、職場で言葉や役割分担だけのやり取りが、ゲームをしたり、時には一緒にお酒を飲んで身の上話をしたりすることで、怖くなくなり、相手の手の内が分かるようになる。つまりはシンクロに急速に向かうわけである。交渉事が酒の席で行われたりするのは、そのような意味があるのである。