2025年6月25日水曜日

週一回 その16

 週一回に関する「コンセンサス」とPOST

 以上に見た藤山氏の提言と高野、岡田氏の論文は、いずれも「週一回」においては、Strachey により提唱された精神分析的な治癒機序としての転移解釈を行うことの難しさや困難さについて論じていたが、我が国における最近の「週一回」についての議論もおおむねその考えに賛同し、受け入れる方向に向かっているという印象を受ける。山崎氏の論文(2024、p73)にはこの藤山の提言をより詳細に検証しつつ、支持する形をとっている。
 山崎氏は Meltzer や飛谷氏らの論文を参考に、「転移の集結」(転移がおのずと集まること)と「転移の収集」(転移を能動的に集めること)という概念を使い分ける。そして分離を体験するための密着な体験が、週4回以上に比べて週一回では得られないために、この転移の集結が生じにくいというD.Meltzer の見解を支持する。さらに山崎氏はそれを例証するような臨床素材を示している。氏は週一回のケースにおいて転移が当面性を有していなかったにもかかわらず、その解釈をすることによる能動的な「転移の収集」を試みて、その結果として失敗したという自らの治療経過を示す。そして氏が「転移の収集は転移解釈によりなされる」という考えを「週一回」に「平行移動」させてしまったことがその原因であったとする。

 山崎氏はこれまでの「週一回」に関する議論を総括したうえで、「『週一回』は『分析的』にするのは難しいという結論が出ているといっていいだろう」(2024,p20)。とし、これが最近の複数の分析家や精神療法家の間のコンセンサスであるという考えを示す。そしてそれにもかかわらずこれまで彼らの多くが「『週一回』は『分析的』でも精神分析的に行えるというごくわずかな可能性に賭けることで、『精神分析的』というアイデンティティを維持しようとしてきた」のだという(2024,p19)。  ここで理論的な整理のために、この山崎氏の示す「『週一回』は『分析的』にするのは難しい」と言う現在の療法家が下した結論を「コンセンサス」と言い表して論を進めよう。この「コンセンサス」とはより正確には、「週一回では、治癒機序としての転移解釈を用いる治療は難しい」と言う立場と言える。 

そのうえで山崎氏が提案するのは、精神分析との違いを明確にしたうえで、「週一回」それ自身が持つ治療効果について考えることである。これは上で見た高野氏や岡田氏の論文にもみられる方向性と言える。山崎氏は便宜的に「週一回」を【精神分析的】心理療法と精神分析的【心理療法】とに分ける(2024,p22)。このうち前者は「週一回」でも分析的にできる、という平行移動仮説水準のレベルにとどまっている。そして後者をPOST(精神分析的サポーティブセラピー)として新たに定義する。つまりは「週一回」を「コンセンサス」をもとに概念化したものが、POSTというわけである。  このPOSTの流れはそれに関する成書も出され、一定の認知を得ているために詳述は避けるが、このPOSTの概念的な位置づけについては、山口氏のまとめが参考になる。それによれば分析においては【分析的】では転移を扱うが、【心理療法】(すなわちPOST)では「無意識については扱わず(言及せず)に意識を大切にし、なるべく転移を扱わないというのがその方針としてあげられる。そして「転移―逆転移についての理解は治療者のこころの中に留め置く」(岩倉ら、2023)とし、それはまた転移を「拡散する」とも表現されている(山崎、p81、山口p246,247)。