2025年6月3日火曜日

週一回 その10

 結論:現代的な視座から見た「週一回」について

  以上の論述から、世界レベルでのコンセンサスは日本での「コンセンサス」とはかなり異なるものということが出来よう。むしろ英語圏でのコンセンサスは、分析的精神療法の概念が明確に存在し、それが表出的精神療法と支持的精神療法が分けられるというものである。

そして分析ー表出的-支持的の関係はGabbard の示したスペクトラム上に置かれることになる。すなわち精神分析は転移の解釈を重んじるのに対して、精神療法は現実の扱いを重視するという違いを強調する。これは「分析的」であることの強度ともいえるものであり、分析は最強、表出的精神療法は強、支持的精神療法は弱、と言った感じになるのだ。そしてそのうえで言えば、表出的精神療法は質的にも精神分析に近いものとみなされる。ただし面接頻度に関しては、それを明確に規定するものは少ないものの、Kernberg のように最低週2回を最低条件とする立場があるのは確かである。ただし表出的精神療法の頻度をあえて明言はしないという立場が支配的ということが出来る。

 上記のような理解に立てば、は我が国の「コンセンサス」との違いはその頻度の許容の仕方の違いということが言えるだろう。「コンセンサス」が週4回より頻度が低い場合に当てはまるのに対して世界レベルでは、少なくとも週二回は分析的とみなせるという点ではコンセンサスより「緩い」と言ってもいいかもしれない。

そしてさらに最近の動向を反映しているものとして、各機関のHPでの記載を参照するならば、精神分析と精神分析的精神療法との関係について、両者を一つのカテゴリーに属するものとして論じたり、(例:「psychoanalytic modalities of treatment 精神分析的な様式の治療」(Kernberg))精神分析的精神療法の一つの特殊例として精神分析を位置づけたりする傾向がみられる。そして何よりも特徴的なのは、分析的精神療法としては少ない場合には週一回という言及がなされるようになっているということである。ここに至って週一回は分析的ではないという制限は事実上取り払われた(あるいは最初から存在しなかった)ということが出来るであろう。