2024年4月13日土曜日

解離-それを誤解されることのトラウマ 5

 解離をめぐる誤解と否認の三段階

 解離をめぐる誤解と否認に関しては様々なレベルがありうるが、以下の三段階に分けて論じることが可能であると考える。一段階目は解離性障害が臨床家により認識されない、否認されるという傾向に関するものである。二段階目は、解離性障害の存在を認知したうえで、それでも交代人格と出会うことを回避することに見られる誤解である。そして三段階目は、交代人格と実際に関わる際にも存在する誤解である。

第一段階 解離性障害は存在しない
 解離性障害に関する誤解や否認の第一段階は、そのような疾患ないしは状態は存在しないというものである。ただしこれは精神科医や心理士の間では表立っては聞かれないであろうと考えるのが自然かもしれない。通常の専門知識を有した精神医療関係者であれば、「解離性障害(特に解離性同一性障害)」が一つの精神障害として米国のDSMやWHOのICDなどの診断基準に揚げられていることを認識しているはずである。ただしこの医療関係者の間でさえも、この「解離性障害は存在しない」は存在し得る。さらに「本当の意味では」ないしは「現実の障害としては」というただし書きがつくならば、この種の誤解を有する人の数はさらに増える可能性がある。それは解離性障害を医原性のものと主張する学説が存在するからである。つまりこれは単なる認識不足として片づけられない問題をはらむのだ。参考文献:Meganck,R. (2017) Beyond the Impasse – Reflections on Dissociative Identity Disorder from a Freudian–Lacanian Perspective. Frontiers in Psychology. Vol 8, SN 1664-1078)

少しだけ歴史を振り返ろう。解離性障害が正式にDSM-Ⅲに登場したのは1980年である。しかし1990年代になっても、そしてある意味では現在でも解離性障害をめぐる二つの立場の対立が見られるとされる。それらはPTM(トラウマ後モデル)とSCM(社会認知モデル)の対立である。このうちPTM(以下、トラウマモデル)は一般に解離の治療者に馴染のあるモデルであり、解離は早期のトラウマ体験に由来するものと理解する。ただしそのトラウマとして考えられたのは最初は性的虐待や悪魔崇拝儀礼虐待 Satanic ritual abuse などが考えられていたが、最近では愛着障害が中心テーマとなりつつあるという歴史的な変遷がある。
 このトラウマモデルによれば、治療の焦点はトラウマ及び交代人格ということになる。
 他方の社会認知モデルは、DIDは医原性のものだと主張する。この説によれば、DIDはトラウマに起因するのではなく、文化的な役割のエナクトメント cultural role enactment 又は社会的な構成概念の産物 social constructions となる。そこでは治療者の示唆、メディアの影響、社会からの期待などが中心的な原因と考えられるのである。たとえばその代表的な論客である Spanos の主張によれば、「過去20年の間に、北米では多重人格は極めて知られた話になり、自らの欲求不満を表現する正当な手段、及び他者を操作して注目を浴びるための方便となっている。」(Spanos, 1994)となる。

Spanos NP (1994) Multiple identity enactments and multiple personality disorder: a sociocognitive perspective. Psychol.Bull.116,143-165.

同様の主張は臨床家を対象として書かれている著書などにも見られる。エモリー大学准教授のスコット・リリエンフェルドScott Lillienfeld (2007)は社会認知説を擁護する記述で一貫してその主張を展開しているのだ。

リリエンフェルド,SO.,リンSJ., ローJM. 編 (2007)巌島行雄、横田正夫、齋藤雅英訳 臨床心理学における科学と疑似科学 北大路書房.

 そこでの主張を読むと、治療者は「交代人格が現れるように促し、あたかも個々の交代人格にアイデンティティがあるかのように扱っている」とする。(p.100)という記述に尽きる。しかし実際には、すでに表れて問題が発生している場合に、交代人格の存在が「見つかる」という順番が通常なのである。

実は私は解離性障害についての様々な議論について、出来るだけ平等な立場から論じるつもりでいた。しかし社会認知説の誤謬性は私の想像をはるかに超えたものであった。それに対する反論は一言に尽きる。社会認知説は治療者が交代人格を生み出しているという主張である。しかし現実には患者自身が知らないところで別人格が出現し、それを周囲から指摘されるという構造である。そして多くは異なる人格の存在を隠そうとする。彼らはおかしな人と思われたくないからだ。そしてそのことは個々のケースに虚心坦懐に触れればわかることである。SCMの主張の内容は、そのまま論者がケースに触れていないで論じているということを表しているに過ぎない。

ちなみにこの社会認知説に対する臨床家からの反論については、例えば以下のものが信頼がおける。

Gleaves DH.(1006) The sociocognitive model of dissociative identity disorder: a reexamination of the evidence. Psychol Bull. 1996 Jul;120(1):42-59.

Lynn, S. J., Maxwell, R., Merckelbach, H., Lilienfeld, S. O., van Heugten-van der Kloet, D., & Miskovic, V. (2019). Dissociation and its disorders: Competing models, future directions, and a way forward. Clinical Psychology Review, 73, Article 101755. https://doi.org/10.1016/j.cpr.2019.101755

ただしそれでも驚くべきことは、現在においてもこの二つのモデルが対立しているとされているということだ。このことは真剣に受け止めなくてはならない。ほかの精神科疾患について同様の傾向が見られないのである。(たとえば「統合失調症や双極性障害は医原性である」という説が現在においても存在し得るかということを考えればわかるであろう。)