2023年11月14日火曜日

連載エッセイ 10の推敲 1

前回(第9回目)は、あるものを摂取したり、ある行動を起こしたりする場合、それを希求する程度(W)と、その実際の体験に伴う心地さ(L)とは異なるという点について、ベリッジらの議論をもとにして論じた。そしてこのWを生み出しているのが報酬系のドーパミンニューロンであり、Lを生み出すのは脳内に点在する「快感ホットスポット」であるという点についても示した。そこではドーパミン以外の物質(オピオイド、エンドカンナビノイド、セロトニン、オキシトシン、その他)が働いているという現代的な理解について示した。なお以上の議論はケント・ベリッジらのインセンティブ感作理論をもとにしている。
  私達の日常体験では、LとWは普通はバランスが取れた状態であり、そのことで心身の健康が保たれている。私達は欲しいと望んだものが適度に与えられると、それ以上は望まなくなるのが普通だ。ところがこのWとLがかけ離れていくという現象が知られている。それが嗜癖ないしは強迫という状態であり、それが今回のテーマである。
 まずはWとLが通常は釣り合うという事情については、一種のサーモスタットのような仕組みが常に働いていると考えるといいだろう。例えば私たちが脱水状態にあり、水を欲しいと感じる際は、「水を摂取せよ!」という指令が視床下部にある口渇中枢 thirst center から送られてくる。そして実際に水を摂取するとこの口渇中枢からの指令がやみ、私達は水を欲しいと感じなくなる。ちょうどエアコンなどで温度を調節する際のサーモスタットのような仕組みが働いているわけだが、より正確にはネガティブフィードバックというかなり込み入った生理的な仕組みとして一般化することも出来るだろう。
 しかし脳に何らかの異常が生じ、このサーモスタットが働くなることがある。するといくら水を飲んでも渇きを感じ、更に水を飲み続けるという事が起きてしまう。精神科領域では「水中毒」という症状があり、患者さんはウォーターサーバーに付きっきりで水を飲み続ける。そして血液が薄まってしまい低ナトリウム血症等に陥って生命に危険な状態になってしまいかねない。
 この水中毒の場合、当人もおそらく水を飲み続けながら、おそらく「おいしい」とは感じないであろう。つまりLはゼロどころかマイナスになっているのだ。しかしWだけはいくら水を飲んでも低下しない。この種のWとLの間の乖離は、実はしばしば起きることが知られている。特に依存症、嗜癖、あるいは強迫神経症などと呼ばれる状態では深刻なレベルでこれが生じている。
 更には最初から苦痛な体験が、それを続けているうちに心地よさを生むという場合も少なくない。走っているうちに、最初は少し苦しくてもあるレベルを超えると快感になり、止められなくなることがある。これがいわゆるランナーズハイという状態だ。あるいは最初は辛めのカレーを我慢して食べているうちに、段々更に辛い状態を求めるようになることもある。いわゆる「激辛マニア」と呼ばれる人たちである。
 そのような例の極めつけは「首絞めゲーム」であろう。息をしばらく止めているうちに襲ってくる苦しさほど耐え難いものはない。しかしそれが快感につながる場合があるからこそこのようなゲームが成立する。
 このような過剰な苦痛(マイナスL!)による快感を求め続ける(プラスW)という状態は、それが日常生活で時々体験されるのであればまだいいかも知れない。時々趣味の集まりに出かけて若い女性にハイヒールで顔を思いっきり踏んでもらう(しかもお金を払って)というのも、その人の自由であろう。しかし問題はWがおさまらずに病歴なレベルにまで至る場合であり、そうなると私たちの心身が著しく損われることになるのだ。