以前に書いた部分の推敲
他者」としての交代人格と出会う事
解離性障害、特に解離性同一性障害(以下、DID)の臨床には様々な問題が山積している。その概念上の混乱、精神分析の中での不安定な位置づけなどは、その解決の糸口を見つけることでさえ容易ではないという印象を受ける。しかし最大の問題は、臨床場面において解離性同一性障害がどの様に扱われているかという事だ。最近では以前ほどではなくなったかもしれないが、それでもDIDという状態そのものを認めようとしないという態度が、いまだに精神科医やそのほかの臨床家にもみられるとしたらこれは深刻な問題である。
そのことについて私は最近杉山登志郎先生の書かれた一文を目にしてかなり実感を持つようになった。杉山先生(愛知小児センター「子育て支援外来」)は日本の精神医学界で、とりわけトラウマ関連で非常に強い発信力を持っておられる方だが、先生の著書に次のような個所を発見した。
「一般の精神科医療の中で、多重人格には「取り合わない」という治療方法(これを治療というのだろうか?) が、主流になっているように感じる。だがこれは、多重人格成立の過程から見ると、誤った対応と言わざるを得ない」。
(杉山登志郎 (2020) 発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療 p.105)
これは私がもしかしたらわが国でも起きているかもしれないと危惧していたことである。そして私がはじめてそれが文章化されたものを見たのが、この杉山先生の記載だったのだ。しかしこれはいったいどういう事であろうか?
現在は精神医学という分野があり、その専門家(精神科医)がいる。そして彼らは一定の教育を受け、基本的には精神医学の教科書に準拠して勉強し、研究を行い、また治療を行う。それは内科や外科などのほかの科と同じである。そして精神医学にはDSM(アメリカの基準)とICD(WHOの基準)という、テキストではないにしてもそれに近い、時にはバイブルとさえ言われている診断基準がある。そして解離性障害及びその中の一つのタイプである解離性同一性障害はしっかり掲げられているのだ。ところがその症例を目の当たりにしても、精神科医の主流はそれを「取り合わない」というのだ。これが何を意味するのだろうか?
ただし私はここで現代の精神医学の批判をしたいわけでも、その変革を唱えているわけでもない。むしろなぜそれが現実なのかを少しでも明らかにしたいのである。