2021年10月16日土曜日

解離における他者性 15

 臨床家はいかに交代人格と会うべきか

そこで臨床家がどの様に交代人格と会うべきかという事について改めて論じたい。まず大事なことは言うまでもなく、個々の交代人格を尊重するようなかかわりを持つという事である。DIDの患者さんとの関わりの中で、異なる複数の人格と出会うという事は実際に、それも頻繁に起きる。患者さんは通常はAの人格で来院するとしても、時々Bさんとして表れることもあり、また話題によっては途中からさらにCさんに変わることもある。そしてそれは治療者がどの人格に対しても温かく迎えるという姿勢があればあるほどそうなのだ。
 一つ重要な点は、DIDの患者さんは常に人の気持ちを敏感に感じ続け、時には過剰に警戒したり、こちらに忖度をしたりするという傾向が強いという事だ。交代人格は自分が出現することで相手を驚かせてしまうのではないか、あるいは自分がその人格として受け入れてくれないのではないかという懸念を持つことが多い。そのことを治療者の側がよくわきまえておく必要があるのだ。
 私はDIDの方との面接では、前回の人格さんと同じ方かがあいまいな場合は出来るだけ確かめるようにしている。前回のAさんとは別の人格Bさんに対して、あたかも同じ人であるという前提のもとに話すことにはあまり意味がないであろう。もちろん前回の内容をBさんは内側で聞いていた可能性がある。その様な場合にしばしばBさんは前回の人格Aさんと異なるという事を治療者の側に伏せる場合も多いであろう。しかし来談する人格が常に同じAさんであるという事をというのも患者さんが前回とは異なる人格で表れ、前回の内容を覚えていないとしたら、あたかもそこに連続性があるように話すことは、患者さんに無理やり治療者に合わせるのを強いることになりかねないからだ。
 繰り返すがDIDの患者さんたちは通常は、自分が知らない人に話しかけられ、自分が話した覚えのない話題をふられることに慣れていて、あたかも人格の交代が起きていないかのようにふるまうことに非常に慣れている。だから治療場面でもそれが起きてしまうのは回避しなくてはならない。多くの患者さんはセッションの初めに自分がどの人格かについて治療者が尋ねることを受け入れてくれる。ただし原則としてそうである、という風にお断りしなくてはならない。というのも原則には必ず例外があるからだ。私のある患者さんは通常と異なる人格で表れ、しかもどの人格であるかを確かめようとすることにとてもいら立ちを表現する。そのために私は敢えて名前を聞くことをしない。それはその人格の個性として受け入れなくてはならないからだ。