2021年7月12日月曜日

嫌悪の精神病理 1

  私たちは、生命を維持するうえで極めて重要な原則に従っている。それは快を与えてくれるような報酬を希求し、また不快を起こすような嫌悪刺激を回避する傾向といえる。確かに生命維持にとって必須な食料や安全な環境は、私たちはそれを快と感じて追い求め、生命の維持を危うくするような危険や侵襲は嫌悪刺激として回避される傾向にある。フロイトはこれらを「快原則」と「不快原則」と名付けたことは周知のとおりである。そしてこの原則は精神分析理論を超えて普遍的な妥当性を持つように思われる。
 本稿では特に嫌悪刺激についての精神病理学的な理解を目指すが、現代の脳科学が示すのは快ないし報酬と不快ないし嫌悪は深い関連性を有し、両者を切り離すことができないということである。そしてそこに快が嫌悪の病理につながるようなメカニズムの存在を示唆している。そしてそれが本稿が主として解き明かしたいテーマである。
 嫌悪aversion と報酬 reward の性質を理解するうえで、近年の脳科学的な研究はきわめて重要な手掛かりを与えてくれる。そしてその端緒となったのが1953年のオールズとミルナーによる報酬系の発見であった。彼らはラットの脳に電極を刺し、スイッチとなるレバーを押すことで自己刺激を行わせる実験を行った。そしてたまたまある部位に電極が刺されると、ラットは狂ったように、それこそ食事も忘れてレバーを押し続けることが分かった。それが中脳の腹側被蓋野、側坐核、内側前脳束、中核、視床、視床下部の領域からなる部位で、後に「報酬系」ないしは「快感中枢」と呼ばれるようになった。
 脳のある部位を電気刺激すると著しい快感が得られるという彼らの発見は、当時は大きな議論を呼び起こしたという。興味深いことに当時は、脳の刺激は常に嫌悪を生み出すという考えが支配的であったという(リンデン、p19)。脳のいたるところがいわば「嫌悪中枢」である一方では、報酬系や快感中枢の存在は想定されていなかったということになる。快楽はいわば不快を回避することで間接的に得られるものとしか考えられていなかったのだ。それはどうしてだろうか?