3500字台に絞った。もういいか。
パーソナリティ障害とCPTSDについて考える
私はComplex PTSD(以下CPTSD)という概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年に米国の精神科医ジューディス・ハーマン先生がその著書 ”Trauma and Recovery” (Herman,
1992, 邦訳「心的外傷と回復」)で提出したが、当時米国にいた私は、この著書が周囲の臨床家にかなり好意的に迎えられたことを記憶している。その後実際にハーマンや同じボストンで活躍するバンデアコークの実際の講演を聞き、その熱い思いを身近に感じたものだ。
それ以来DSMやICDなどの国際的な診断基準が改訂されるたび、CPTSDやヴァンデアコークが提唱したそれと類似の概念DESNOS(Disorder of Extreme Stress, not otherwise Specified;ほかに分類されない極度のストレス障害)が正式に採用されることを多くの臨床家が期待したが、そのたびに失望に終わっていた。そして今回ようやくICD-11 にこれが所収される運びとなった。CPTSDもDESNOSも単なるラベリングであり、患者個人の個別性を規定するものではないことはわかっている。しかしその上で言えば、これらはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。
それらを前提として、本稿ではCPTSDとパーソナリティ障害との関係について考えることになるが、そこには少しこみいった事情がある。それはこのCPTSDの概念にはハーマンによりフェミニスト的なスピンがかかっていたという事がある。一般にトラウマ論者はフェミニズムに親和的であるが、それは多くの性被害に遭った女性が治療対象となることを考えれば納得がいく。そして彼女の場合は精神医学の歴史において従来差別の対象とされてきた「ヒステリー」の患者さんたちをこのCPTSDの概念に重ねたのだ。ただ事情を複雑にしたのは、BPDもまた差別されてきた対象としてこのCPTSDに組み込まれていたことである。
もともとハーマンは反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。そして精神科医の研修をする中で直面したのは、それまで非常にまれだと報告されていた女性の性被害の犠牲者が、精神科の患者の中に極めて多く見出されるという事実だった。この問題をもっと明るみに出さなければならない、と考えた彼女が「心的外傷と回復」を書くに至ったわけだ(Webster, 2005)。
ハーマンがこの本でCPTSDとして具体的に想定している一群の患者が従来の「ヒステリー」の患者であったと述べたが、具体的には、解離性同一性障害(従来の多重人格障害、以下DID)、身体化障害(以下、SD)そしてBPDを含むとした。最初の二つは従来ヒステリーの解離型、転換型と呼ばれていたものに相当すると考えられるので、CPTSDに含めることに誰も異論がないだろう。しかしそこにBPDを加えることには、違和感を覚える人がいてもおかしくない。
ハーマンの意図を知るためにTrauma and Recovery(原著)を改めてひも解くと、そこにこんな記載がある。
「今となっては古臭いヒステリーという名前のもとにSDとBPDとDIDの三つがまとめられていたのだ。」「それらの患者は通常は女性であるが(…)それらの疾患は信憑性が疑われ、操作的であるとされたり、詐病を疑われたりした。」「これらの診断は差別的な意味を伴い、特にBPDがそうであった。」(1992,p.123)「これらの患者たちは「強烈で不安定な関係の持ち方を示す」。「これらの三つの共通分母は幼少時のトラウマである」(p.125)。つまり当時明らかにされつつあった、BPDの多くに幼少時の虐待が見られるという知見から、ハーマンはBPDをほかの解離性障害と同様に従来のヒステリーに位置付けたわけである。
さてバンデアコークの提唱したDESNOS(2002,2005)とBPDとの関係はどうだったのか?こちらもまた「BPD寄り」であることは以下の記述から伺える。(van der Kolk, 2002)。
「私たちがBPDだと考えていたケースをよく調べると、その多くがDESNOSなのだ」「患者のトラウマヒストリーを詳細に聞くと、ケースの概念化と治療指針まで変わる。(…)特にBPDのトレードマークである攻撃性、情緒的な操作性、欺きなどは悲しみ、喪失、外傷的な悲嘆などの真正なる感情に見えてくるのだ。」「幼少時のトラウマ体験への適応として理解することで、DESNOSかBPDかの判定に大きな違いが出てくる」とある(p.385)。つまりBPDと診断されている患者を偏見なく診ることで、それがDESNOSの誤診であることが分かることが多い、と主張していることになる。しかしとても重要な提言も見られる。「リサーチにより分かったのは、BPDとDESNOSは重複する部分があるものの、明確に異なる状態である」「両者は表面上は似ている。ただ慢性の情緒的な調節不全はDESNOSでは最も顕著だが、BPDではアイデンティティと他者との関りの障害の方がより重大であるというのだ。」
ここにバンデアコークさんの立場とハーマンのそれとの微妙な温度差があるとみていいだろう。
さて「パーソナリティ障害とCPTSD」というテーマで、BPDの関係ばかり述べたが、実は繰り返される幼少時のトラウマのパーソナリティへの影響については、それ以外に論じるべきことがある。そもそもCPTSDのハーマンの原案には、a.情動調整の困難、b.対人関係能力の障害、c.注意と意識の変化(解離など)、d.悪影響を受けた信念体系、e.身体的苦痛あるいは解体が入っていたが、これらa,b,c,d,e の項目はパーソナリティ障害や傾向に深く関連していることであり、BPDの問題とは別個に論じられなくてはならない。そのことについては識者の間でも異論はなかった。そのためにDSM-IVに続いて2013年にDSM-5でDDNOSが却下された際も、そこで提出されたPTSDは従来のものよりもパーソナリティへの影響に言及したものであった。そして今回のICD-11でのCPTSDの掲載に至ったわけである。
ではCPTSDにおけるパーソナリティ障害の要素はどのようなものか。それが「自己組織化の異常」(disorder of the self-organization, 以下DSO)として組み込まれた3つの要素(「感情制御困難」「否定的自己概念」「対人関係障害」)であった。すなわち否定的な感情にとらわれ、極めて低い自己価値観を有し、また虐待的な関係に身を置いたり、またはその可能性から親密な関係を回避するという傾向である。そしてそれは従来のBPDにおける臨床像とは異なるというエビデンスも提出されるようになった。近年のクロワトルCloitreら(2014)の研究ではBPDの本質的な特徴とされる「見捨てられまいとする死に物狂いの努力」、「理想化と脱価値化の間を揺れ動く対人関係」、「不安定な自己感覚」、「衝動性」はいずれもCPTSDでは低かったという事である!(Cloitre, et al. 2014)。また自殺企図や自傷行為はBPDでは50%だったが、CPTSDやPTSDでは15%前後だったという。このようにハーマンのCPTSDはようやくICD-11で日の目を見たものの、CPTSD≒BPD説は否定された形になっているのである。
一言でいえばCPTSDに描かれたパーソナリティ傾向はBPDに比べて地味であり、他罰的ではなくむしろ自罰的である。私は個人的はこの結果に納得がいっている。長期、特に幼少時にトラウマに晒された人々が悲観的で抑うつ的、自罰的なパーソナリティ傾向を有することは臨床場面でも見て取れることであり、それはBPDの典型像とは異なる。そしてDSO部分はそれをうまく表現しているように思う。
以上のことから、このエッセイの一応の結論を述べよう。やはりハーマン先生のCPTSDの概念の提出は偉業であった。慢性のトラウマを体験した人々の精神障害についてのプロトタイプとして掲げられたCPTSD概念には大きな意義があり、ICD-11への掲載により、この問題に対する啓発という目的は達成された。ただしCPTSDはBPDであるという彼女の趣旨は分からないではないが単純化されすぎていたのだ。
ちなみにBPDの特徴と捉えるための概念として、私は最近提唱されているいわゆる「hyperbolic temperament」説に注目している。
ボストンのザナリーニ Zanarini グループが1900年代末に提唱した説であり、ボーダーラインの病理のエッセンスとして、いわゆる
Hyperbolic temperament による心の痛みが特徴であると説いた。これを字義通り「誇張気質」と訳すと誤訳扱いされかねないので「HT」と表記しておくことにする。このHTとは次のように記されている。「容易に立腹し、結果として生じる持続的な憤りを鎮めるために、自分の心の痛みがいかに深刻かを他者にわかってもらうことを執拗に求める。 “easily take offense and to try to manage the resulting
sense of perpetual umbrage by persistently insisting that others pay attention
to the enormity of one's inner pain” 」(Zanarini & Frankenburg, 2007, p. 520).
これはDSMのBPDの第一定義、すなわち「他者から見捨てられることを回避するための死に物狂いの努力」とほぼ同義であるように思う。ただしHTは「気質temperament」、すなわち生まれつき、遺伝子(というよりはゲノム)により大きく規定されている、と主張している点が特徴だ。
ともかくもハーマンさんにより始まった、BPDは幼少時のトラウマの結果かという議論は、BPDの病理を把握することの難しさをかえって際立たせたとは言えないだろうか、という感想を最後に付け加えたい。
Hopwood, C., Thomas, KM,
Zanarini, MC (2012) Hyperbolic temperament and borderline personality disorder Personal Ment Health. 2012 February 1;
6(1): 22–32.
Van der Kolk, B (2005) Disorders
of extreme stress: The empirical foundation of a complex adaptation to trauma. Journal of
Traumatic Stress 18(5):389-99
Van der Kolk, B (2001) Complex
Trauma and Disorders of Extreme Stress (DESNOS) Diagnosis, Part One, Part Two.
Direction in Psychiatry, Vol.21, Lesson 25,26 (pp.373∼395)
Webster, Denise C., and Erin
C. Dunn (2005)Feminist Perspectives on Trauma. in Women & Therapy. The Haworth Press, Inc. 28:111-142
Zanarini MC, Frankenburg FR.
The essential nature of borderline psychopathology. Journal of Personality Disorders. 2007; 21:518–535.)