2021年4月21日水曜日

エッセイの書き直し 推敲 5

 今日は3955字までスリム化した。目標3000字まではまだ遠い。

パーソナリティ障害とCPTSDについて考える

私は複雑性PTSD(以下CPTSDと表記)という概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年に米国の精神科医ジューディス・ハーマンがその著書 Trauma and Recovery (Herman, 1992, 邦訳「トラウマと回復」)の中で提出したが、当時米国にいた私は、この著書が周囲の臨床家にかなり好意的に迎えられたことを記憶している。その後実際にハーマンや同じボストンで活躍する盟友であるバンデアコークの実際の講演を聞き、彼女たちの熱い思いを感じたものだ。
 それ以来DSMICDなどの国際的な精神疾患の診断基準が改訂されるたび、CPTSDやそれと類縁の概念としてヴァンデアコークが提唱したDESNOSDisorder of Extreme Stress, not otherwise Specified;ほかに分類されない極度のストレス障害)が正式に採用されることを多くの臨床家が期待したが、そのたびに失望に終わっていた。そして今回ようやくICD-11
 にこれが所収される運びとなった。私はCPTSDDESNOSも単なるラベリングであるという事は承知しているつもりである。それは患者個人の個別性を規定するものではない。しかしその上で言えば、これらはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。その上でCPTSDとパーソナリティ障害との関係について考えるというのが私に与えられたテーマであるが、これには少しこみいった事情がある。
 そもそもハーマンのこのCPTSDの概念には、従来境界パーソナリティ障害(以下、BPDと記す)と称されてきたものも含むという意図があった。その理由としては、このCPTSDの概念にはハーマンによりフェミニスト的なスピンがかかっていたからだ。一般にトラウマ論者はフェミニズムに関心を寄せる傾向があるのは、多くの性被害に遭われた女性が治療対象となることを考えれば納得がいく。そして彼女の場合は精神医学の歴史において従来差別の対象とされてきた「ヒステリー」の患者さんたちをこのCPTSDの概念に重ねているのだ。ただ事情を複雑にしたのは、BPDの患者さんたちもまたこのCPTSDに組み込んだことである。

Webster, Denise C., and Erin C. Dunn (2005Feminist Perspectives on Trauma. in Women & Therapy. The Haworth Press, Inc. 28111-142

もともとハーマンはフェミニスト運動を始める前は、反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。そして精神科医の研修をする中で、ある事実に突き当たったという。それはそれまで非常にまれだと報告されていた女性の性被害の犠牲者が、精神科の患者の中になぜか非常に多く見出すという事実だった。この問題をもっと明るみに出さなければならない、と彼女は考えた。以上の経緯でハーマンは1992年に「心的外傷と回復」を書くに至ったわけだ。(Webster, 2005)。
 ハーマンがこの本でCPTSDとして具体的に想定している一群の患者が従来の「ヒステリー」の患者であったと述べたが、具体的には、ハーマンは解離性同一性障害(従来の多重人格障害、以下DID)、身体化障害(以下、SD)そしてBPDを含むとした。これらの最初の二つは従来ヒステリーの解離型、転換型と呼ばれていたものであるから、ヒステリ≒CPTSDに含めることに誰も異論がないだろう。しかしそこにBPDを含めることには、違和感を覚える人がいてもおかしくない。ではハーマンの意図は何だったのか?
 ハーマンのTrauma and Recovery(原著)を改めてひも解くと、そこにこんな記載がある。
「今となっては古臭いヒステリーという名前のもとにSDBPDDIDの三つがまとめられていたのだ。」「それらの患者は通常は女性であるが(…)その信憑性が疑われ、操作的であるとされたり、詐病を疑われたりした。」「これらの診断は差別的な意味を伴い、特にBPDがそうであった。」(以上、Herman, 1992,p.123)「これらの患者たちは「強烈で不安定な関係の持ち方を示す」。「BPDでは、一人でいるのが辛いが、他者を疎むこともある。」(以上、p.124)あるいはこうも主張する。「これらの三つの共通分母は幼少時のトラウマである」(p.125)。

さてもう一方にDESNOSもまた、CPTSDのように、BPDを含むのだろうか? バンデアコークにより提唱されたこちらの概念は、表面上はあまりCPTSDの診断基準と変わらない。あえて言えば以下のCPTSDに身体化症状を加えたもの、ということになる(van der Kolk, 2002)。彼らのその論文もまた「BPD寄り」である。「私たちがBPDだと考えていたケースをよく調べると、その多くがDESNOSなのだ」「患者のトラウマヒストリーを詳細に聞くと、ケースの概念化と治療指針まで変わり、それが症例の提示の仕方の理解にまで及ぶ。特にBPDのトレードマークである攻撃性、情緒的な操作性、欺きなどは悲しみ、喪失、外傷的な悲嘆などの真正なる感情に置き換わるのだ。」また「幼少時のトラウマ体験への適応として理解することで、DESNOSBPDかの判定に大きな違いが出てくる」とも言う。つまりBPDと診断されている患者を偏見なく診ることで、それが誤診であることが分かることが多い、と主張していることになる。しかしとても重要な提言も見られる。「リサーチにより分かったのは、BPDDESNOSは重複する部分があるものの、明確に異なる状態である」「両者は表面上は似ている。ただ慢性の情緒的な調節不全はDESNOSでは最も顕著だが、BPDではアイデンティティと他者との関りの障害の方がより重大であるというのだ。」
 これがバンデアコークさんの立場であるが、ハーマンとの微妙な温度差がそこにある。彼にとってはDESNOSBPDは似て非なるものという事になる。

さてCPTSDDESNOSBPDの関係ばかり述べたが、実はCPTSDにおいて重要なのは、それが患者の対人関係の在り方や情動のコントロールといったパーソナリティへのトラウマの影響を含みこんでいるという事だった。そもそもCPTSDのハーマンの原案には、a. 情動調整の困難 (emotion regulation difficulties) b. 対人関係能力の障害 (disturbances in relational capacities) c. 注意と意識の変化(解離など) (alterations in attention and consciousness e.g., dissociation) d 悪影響を受けた信念体系 (adversely affected belief systems) e 身体的苦痛あるいは解体 (somatic distress or disorganization) が入っていた。このa,b,c,dなどの項目を見ればわかるとおり、これはパーソナリティ障害や傾向に深く関連していることだ。そしてDSM-IVに続いて2013年にDSM-5DESNOSが却下された際も、そこで提出されたPTSDは従来のものよりもパーソナリティへの影響に言及したものであった。そして今回のICD-11でのCPTSDの掲載に至ったわけである。ではCPTSDはどれほどパーソナリティ障害の要素をはらんでいるのだろうか。それがいわゆるDSO(自己組織化の異常)として組み込まれた3つの要素(「感情制御困難」「否定的自己概念」「対人関係障害」)を加えるということになった。これがCPTSDにおけるDSO(自己組織化の障害)の構成要素だ。

そこで再び議論を戻そう。CPTSDBPDというハーマンの主張はどうなったのか?結果から言えば、ICD-11に記載されるCPTSDBPDの影は事実上見られない。近年のCloitreら(2014)の研究について言えば、BPDの本質的な特徴とされる「見捨てられまいとする死に物狂いの努力」「理想化と脱価値化の間を揺れ動く対人関係」「不安定な自己感覚」「衝動性」はいずれもCPTSDでは低かった…・なんということだ。また自殺企図や自傷行為はBPDでは50%だったが、CPTSD,PTSDでは15%前後だったという。このようにハーマンさんのCPTSDはようやくICD-11で日の目を見たと同時に、CPTSDBPD説は否定された形になっているのである。
Complex Trauma and Disorders of Extreme Stress (DESNOS) Diagnosis, Part One: Assessment Toni Luxenberg, PsyD, Joseph Spinazzola, PhD, and Bessel A. van der Kolk, MD LESSON 26 Complex Trauma and Disorders of Extreme Stress (DESNOS) Diagnosis, Part Two: Treatment Toni Luxenberg, PsyD, Joseph Spinazzola, PhD, Jose Hidalgo, MD, Cheryl Hunt, PsyD, and Bessel A. van der Kolk, MD Contents 373 395 Volume 21 2001 Lessons 25 & 26

そしてこのBPDにとってかわったのがより地味なパーソナリティ障害の部分、すなわちDSOとなったわけである。個人的に言えば、私はこの結果に納得がいっている。長期、特に幼少時にトラウマに晒された人々が一定の悲観的で抑うつ的、自罰的なパーソナリティ傾向を有することは臨床場面でも見て取れることであり、このDSO部分はそれをうまく表現しているように思う。

以上のことから、このエッセイの一応の結論を述べよう。やはりハーマン先生のCPTSDの概念の提出は偉業であった。慢性のトラウマを体験した人々の精神障害についてのプロトタイプとして掲げられたCPTSD概念には大きな意義があり、ICD-11への掲載により、この問題に対する啓発という目的は達成された。ただしパーソナリティ障害とCPTSD関連という問題に関しては、一般の賛同を得られなかった。CPTSD≒従来のヒステリー≒DIDSDというところまではいいが、それが≒BPDであるという点は、その趣旨は分かるが単純化されすぎていたのだ。私の個人的な意見としても、例えばDIDにみられる患者の性格特性とBPDは大きく異なる。BPDの場合は気分にむらがあり、攻撃性や怒りはむしろ外に向かうという点で方向が逆なのである。

そのようなBPDの特徴と捉えるための概念として、私は最近提唱されているいわゆる「hyperbolic temperament」説に注目している。

Hopwood, C., Thomas, KM, Zanarini, MC (2012) Hyperbolic temperament and borderline personality disorder Personal Ment Health. 2012 February 1; 6(1): 22–32.

Zanarini MC, Frankenburg FR. The essential nature of borderline psychopathology. Journal of Personality Disorders. 2007; 21:518–535.

ボストンのZanarini グループが1900年代末に提唱した説であり、ボーダーラインの病理のエッセンスとして、Hyperbolic temperament による心の痛みが特徴であると説いた。これを字義通り「誇張気質」となると、とんでもない誤訳扱いされるだろうから、「HT」と表記しておくことにする。これについては次のように記されている。「容易に立腹し、結果として生じる持続的な憤りを鎮めるために、自分の心の痛みがいかに深刻かを他者にわかってもらうことを執拗に求める。 “easily take offense and to try to manage the resulting sense of perpetual umbrage by persistently insisting that others pay attention to the enormity of one's inner pain” (Zanarini & Frankenburg, 2007, p. 520).

これはDSMBPDの第一定義、すなわち「他者から見捨てられることを回避するための死に物狂いの努力」とほぼ同義であるように思う。ただしHTは「気質temperament」、すなわち生まれつき、遺伝子(というよりはゲノム)により大きく規定されている、と主張している点が特徴だ。
 ともかくもハーマンさんにより始まった、BPDは幼少時のトラウマの結果かという議論は、BPDの病理を把握することの難しさをかえって際立たせたとは言えないだろうか、という感想を最後に付け加えたい。