2021年1月8日金曜日

私が安心した言葉 推敲 2

  最後に私の主張の具体例として個人的な体験を示したい。すでにどこかに書いた気がするが、本稿の文脈に従って改めて思い返すことにも意味があるだろう。私にとっては「人に話を聞いてもらえるとはこういうことだ」という意味で目から鱗の体験だったのである。

私には米国での滞在の頃からの友達と呼べるドクターMがいるが、彼がこの体験に登場する。当時の私は米国で精神科レジデント(研修医)のトレーニングの終了を前にして、米国で労働許可証を取得するまで滞在を少しでも延ばす必要があった。そうでないとそれから先何年もかかる精神分析のトレーニングを継続できなかったからだ。そしてそのためには就職先の責任者に何らかのトレーニングプログラムを作ってもらい、研修生の身分を保つ必要があった。と言ってもそのプログラムはほとんど書類上のものでよかったのだが、雇う側としては面倒な書類を作ってまで外国人の医師を雇う義理はない。結局いくつかの医療機関に話を持ち掛けてもほとんど話を聞いてもらえないという体験が続いた。そこでこの病院が最後だという覚悟で訪れた病院の院長に面会を申し込んだ。その時若き院長として出てきたのがドクターMだったのである。実は私は初対面のドクターMからも、ほかの病院と同様の冷たい反応を受けることを覚悟していた。ところがドクターMとの面会が開始してほんの23分経ったところで、「あれ?何が起きているんだろう?」と驚きを感じていることに気が付いた。ドクターM彼は初対面の私の話をじっくり聞いてくれているのだ。そして30分後には、彼が私と相談しながらプログラムを作ってくれるという風に話が進んでいったのだ。その中には彼自身も外国人留学生として苦労した体験も語られた。

それから私が気が付いたのは、私がそれまでに出会った何人かの院長や事務長や理事長には話を聞いてもらえていなかったのだ、ということである。いや確かに彼らも私に耳を傾けてはくれていた。でも私のために一肌脱いで(これも面白い言葉だ) 面倒なプログラムの書類を作成してくれることはなかった。そして実は私の方でもそれを期待していなかったのである。彼らは当たり前の常識を備え、社会人として機能している人々だ。私生活では良きパパであり、夫でもあろう。そして彼らはほかの人々と同じように十中八九、持ち出しをしない。そうする道理はないのだ。だからこそドクターMとの体験は特別の印象を私に与えたのである。

幸いにもドクターMとはその後同僚となり、個人的な付き合いも始まった。精神科医であり、精神分析のトレーニング中であった彼が患者に対する姿勢から学んだことはとても大きかった。彼は確かに普通の精神科医ではなかったのである。

私はこの短い文章の中で、人の話は親身になって聞くべし、というような教訓めいたことを述べることは意図してはいない。すでに述べたが、私たちの多くは身近な人々(家族、友人、同僚など)にしばしば深く感情移入しても、それが報われずに終わるという体験を多く持っているはずだ。しかしそれは受け取る側にとってはいつの間にか当たり前のことになってしまう。治療者の「持ち出し」は繰り返されるうちにすぐ「してもらって当然」になってしまうかもしれない。わかってもらった時の感動には、その体験の意外性や驚きが深くかかわっているらしいのだ。そしてその意外性や驚きがいつどこから生じるかは予想がつかないことが多い。だから人を感動させるために分かってあげようと試みることは傲慢な話だ。私たちに出来ることはせいぜい、本当に人から「わかってもらった」時の感動の機会を逃さないようにすることくらいだろう。