2019年6月8日土曜日

ゆらぎと心 ④


さてゆらぎの問題が私たちの生活にかくも密接なわけは、揺らぎが私たちの生活を脅かす可能性があるからです。
私の思い出話をお聞きください。昔30歳代の前半のころ、アメリカの精神科のレジデントとなって夜の当直をしていました。レジデントはまだ見習いなので、月給も安く、それだけに当直は結構な収入源でした。(一晩働くと2,3万くらいの相場です。)それでレジデントたちで分担し合って週に一度程度当直業務を行っていましたが、これが結構緊張するのです。大きな総合病院のER(救急治療室)には多くの内科、外科の患者に交じって時々精神科の患者が訪れます。夜中にERに訪れるほどなので、大抵は状態が重く、入院が必要になります。するとアセスメントから診断の決定、投薬の開始、入院の手配まで、おそらく2時間は優にかかる作業が待っています。当直担当医は当直室でそのような呼び出しが救急室からくるのを待っています。もし運がよければそのような患者は訪れず、備え付けのテレビでもゆっくり見ながら夕方5時から翌朝8時までの15時間はゆったり過ごせます。睡眠も数時間は取れ、読書もできてテレビも見れ、当直代も受け取り、「ラッキー!」とか呟きながら翌日の業務につきます。ところが大抵は夜間に一人、二人の患者が現れ、24時間はそれに費やされます。問題は夜中の急な入院があった場合で、例えば夜中の2時に突然救急室からの電話があり駆け付けると、そこから明け方4時までは入院作業を行わなくてはならず、そこから当直室に戻っても追加のオーダーなどの電話がかかることもあり、ほぼ徹夜の状態で翌日の通常業務につかなくてはなりません。当直を引き受ける精神科のレジデントにとって最も恐怖なのは、数件の入院の業務をすることで夜中じゅう全く休みが取れずに、そのまま翌日の通常業務に突入するという最悪なパターンです。当直帯に入るまでにすでにその日の仕事の疲れがたまっていますから、それから休む暇もなく徹夜をして仕事をし、翌朝からも引き続き夕刻まで仕事をするというのはかなりの精神的、身体的なストレスで、いわば地獄のような体験ともいえます。(それもあって当直は若い体力のあるレジデントの仕事、と米国では相場が決まっていました。)
当直医はうまく行ったら安楽に過ごせるかもしれず、しかしいったん電話が鳴ったら地獄に突き落されるような(実に大げさな表現で、救急に来られる患者さんに対して他意はないのですが)状況で、それこそ息をひそめながら過ごします。救急の患者さんの受診のパターンは本当にバラバラで予想が付きません。平均一晩に1.5人の入院がある、と一応データは取ってあり、そのくらいの労働の「覚悟」は出来ているのですが、例えばすでに2人の入院業務を行ったということは、3人目が訪れない保証には全くならないのです。
ある時一学年上の精神科のレジデントのジョンが、夕刻の5時に救急室に様子を見に行っていたら、すでに7人の精神科の入院予定者が列を作っていたというエピソードが語り継がれていました。その7人の入院予定者の列を目にした瞬間にジョンは首を吊ることを考えた、という部分まで半ば伝説のようになっていました。ジョンは幸いにもその日は7人の後は入院がなく、何とか生き延びたということですが、それがメモリアル・デー(米国の戦没将兵追悼記念日、通常は5の最終月曜日)の翌日に起きたことだったために、「メモリアル・デーの翌日はやばい、なぜか精神科救急が急増する」という都市伝説がレジデントの間で一年だけ広まりました。しかし翌年の該当日(どのレジデントも当直を引き受けることを嫌がって大変でした)には一人も入院がなく、入院患者数とメモリアル・デーとはおそらく無関係であるということになっていました。
私が面白いと思ったのは、人間はそういう時あらゆるジンクスを駆使するのですが(例えば、もう2人来たからこれ以上は来るはずがない、とか、12時まで全く入院がなかったから、これから明け方までに必ず一例はあるはずだ、とか、ハラハラして待っていれば逆に来ない、等・・・・) 現実は全くそれに従わず、予想外に(予想外のことが起きるだろうという予想も含めて!)物事が生じるということです。そしてその入院件数を長い目で追ってグラフにでも書いてみると、おそらくそれは決して平たんではなく、何らかの波が、ゆらぎが見えてくるはずであろうということです。
なんだか前置きが長くてここまで書くのに疲れてしまいましたが、結論は実はシンプルです。おそらくは偶然の産物で発生する精神科救急は、次にいつ訪れるのかが全く予想がつかないにもかかわらず、私たちはそこに何らかのパターンを読み、心の準備をするのに必死だということです。そしておそらくそれは私たちを取り巻く事象のあらゆる事柄について言えます。しかし私たちはおそらくその大部分について無関心であるために、その偶発事のランダム性やゆらぎに気が付かないのです。ただここで「ゆらぎの本質は偶発性だ」、と言われても、読者は少しぴんと来ないかもしれません。それについて説明する前に、もう一つ似たような現象としてニュースになったものから一つの例を取り上げます。(続く)