2019年2月14日木曜日

解離の心理療法 推敲 11

4-1.トラウマと交代人格の出現
通常の出来事なら、私たちはその事実関係の部分(エピソード記憶)と、その時の感覚や感情の部分(情緒的な記憶)を一つながりで記憶します。例えばどこかに出かけた記憶は、そこで起きた出来事のうち言葉で説明できる部分(いつ、どこに誰と行ったか、など)と、言葉では十分言い表せない部分(何を見てどう感動したか、など)は繋がって思い出される仕組みになっています。ところがインパクトの強い体験では、この記憶のつながりが切れてしまい、いわば断片化した状態となります。これがトラウマ記憶の特徴です。なぜトラウマの際にはそのような特殊な記憶が出来上がってしまうかについて簡単に説明しましょう。出来事の事実関係の部分は、脳の海馬というところで処理されるのに対して、感情、感覚の部分は主として扁桃核というところで処理されるのです。そして通常は海馬と扁桃核は協力し合いながら、記憶の別々の部分を分担して処理するわけです。ところがあまりに出来事のインパクトが強く、恐怖、不快、不安などが強いと、この海馬と扁桃核の共同作業が妨害されてしまうわけです。
トラウマ記憶は通常の記憶とはかなり異なる振る舞いをすることが知られています。例えばある出来事についての記憶が思い出されても、事実関係は思い出せても何の感情も生じない状態になる人がいます。記憶のうちエピソード記憶と感情の記憶の部分が切り離されてしまっているからです。そもそも記憶はエピソード部分と感情的部分がつながっていることで、脳の中に仕分けされ、常にひとつながりの記憶として出てくるものです。エピソード記憶の部分が海馬にきちんと整理されているからだという説もあります。だから感情的な記憶の部分はエピソード記憶というタグを付けられていて、感情的な記憶の部分だけが独り歩きをすることはありません。ところがトラウマ記憶では感情の記憶の断片が突然その人の心を脅かします。これがいわゆるフラッシュバックという現象で、その人は強い恐怖とパニックに襲われてしまいます。




さて、以上のトラウマ記憶の成立は特に解離性障害を持たなくても起きることが知られています。トラウマ記憶のあるものは、そのエピソード部分も感情的部分もその他の過去の記憶とは切り離され、いわば心のどこかに箱に入った形でしまわれています。そしてそれ全体の存在が過去の記憶の中で見えない部分になっています。このような心の働きが解離と呼ばれるわけです。そして解離を起こしやすい傾向が非常に強い子供が深刻なトラウマを体験すると、以上で述べたトラウマ記憶の成立が、より深刻で大掛かりな形で起きます。それがトラウマ体験を持った人格そのものの解離、という現象です。
解離傾向の強い子供が繰り返しトラウマ体験をこうむった場合は、その記憶は日常の意識から解離され、生々しいトラウマの情景とそれに伴う情緒体験を記憶する別の人格が誕生します。トラウマ人格はその体験に関する記憶を、事実関係に関する部分と感情的な部分とが分かれていない記憶として持っています。つまりそのトラウマ記憶をそのものとして受け取れる人格を心が作り上げてしまうわけですが、今度は主人格にとっては、その記憶は事実関係も含めてすっぽり自分の生活史の中から抜け落ちてしまうことになります。
これらの「トラウマ人格」は普段は内部に潜んでおり表に出ることはありませんが、何かのきっかけでトラウマ記憶が想起されると覚醒します。かつてのトラウマ的事態と似たような状況、すなわちトラウマが再現される事態が勃発した場合も同様です。よって面接中にトラウマ記憶が想起されたり、トラウマ状況と同じような体験の感覚を抱いたりすると、その場で人格交代が起こります。
人格交代に際しては、意識消失などそれとわかる変化が観察されることもありますが、時には治療者が全く気づかないうちに人格が入れ替わります。人によっては頭痛の訴えや瞬き、手足の動きなど、特定の体の部位に決まった動きがみられます。その態度や表情、言葉遣いの変化から交代人格の出現に気づいた時は、積極的に関わる姿勢をみせるのがよいでしょう。人格との出会いをどう迎え、交代人格たちとどのように交流を深めていくかが、その後の人格全体との信頼関係および治療の進展に大きく影響するといえます。