2016年2月10日水曜日

報酬系と心(4)


<報酬系のランドスケープ>

 私の横でカミさんが、「アーおいしい」、と飲む淹れたてのコーヒー。感想を聞かれた私は、「うん、コーヒーの味がするね。」(実は味がわかっていないのである。) ここに明らかなことは二つある。一つは彼女の報酬系は、私のそれより強く反応しているということだ。そしてもう一つは、はるかに複雑だということである。彼女が壮大なパノラマ映像を見ているような感覚を味覚のレベルで味わっている時、私は原色のレゴブロックで作られた景色を見ているにすぎない。

私が報酬系のランドスケープ(景色)という考えを持つ場合には、報酬系がおそらくさまざまな感覚入力の総決算として一定の反応をはじき出しているという様を想定している。たとえば味覚を取り上げよう。コーヒーの成分は、微量なものを含めれば、おそらく何百もの成分が含まれていることだろう。(この数字はテキトーである。)人の大脳はそれを味覚と嗅覚から感じ取り、そこに様々な成分を読み取る。そしてそこで大事なのは、ここの成分の知覚だけでなく、その組み合わせからくる全体としての感覚であり、それが私がランドスケープという形で表現したいものである。「おいしい」はここの知覚の総和からは算出されないようなある種の統一性、全体性を持っている。この統一性、全体性がなぜ大事かといえば、報酬系は、一つの行動へと集約されなくてはならないからだ。すなわちイエスかノーか。飲むか飲まないか。店でそれをレジまで持っていくか行かないか。それをもって幸せな気分になるかならないか。